冷戦のなかの国々

概要
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表記について

冷戦下のアメリカ社会

軍備と規制の強化

ソ連との対立激化で、アメリカは次のような軍備と共産主義規制の強化をしました。

公民権運動の開始

1954年、アメリカの連邦最高裁判所は、公立学校での人種隔離を違憲とするブラウン判決を下しました。
以降、黒人を中心に人種差別の廃止を求める 公民権運動  (黒人解放運動)が始まりました。
1960年代、公民権運動を指導した キング牧師  がワシントン大行進をおこない、運動が高揚しました。

西ヨーロッパ・日本の経済成長

ヨーロッパの協力機関

ヨーロッパでは、地域統合によって再生を図ろうとする動きが表れました。
1950年、フランス外相シューマンがシューマン=プランを提案し、地域統合を具体化させました。
フランス・西ドイツ・イタリア・べネルクス3国(ベルギー・ オランダ  ・ルクセンブルク)の6国は、次の協力機関を結成しました。
1952年、 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体  (ECSC)
ヨーロッパの石炭・鉄鋼資源の共有を目指す協力機関
1958年、 ヨーロッパ経済共同体  (EEC)
ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を経済の全分野に拡大した組織
1958年、 ヨーロッパ原子力共同体  (EURATOM)
ヨーロッパの原子力資源の統合・管理のための協力機関
イギリス
組織発足時にいずれも非加盟
1967年、 ヨーロッパ共同体  (EC)
EEC・ECSC・EURATOMが担った経済分野に限らず、政治分野の統合も目指した 協力組織
イギリスは組織発足時に非加盟

西ドイツ

西 ドイツは、首相 アデナウアー  の下で、「経済の奇跡」と呼ばれる経済の復興と成長を実現しました。
1950年代、西ドイツはヨーロッパ石炭鉄鋼共同体やヨーロッパ原子力共同体の創設に参画しました。

イギリス

当初、 イギリス  はECやEECなどの結成に反発しました
1960年、 ヨーロッパ自由貿易連合  (EFTA)
 イギリス  がヨーロッパ経済共同体に対抗するために発足させた経済協力組織
ベルギー
ヨーロッパ経済共同体の加盟国であり、ヨーロッパ自由貿易連合には不参加
 1973  年、イギリスがEC加盟を果たしました。
1967年に加盟申請をしたが、フランスが反対して失敗

フランス

1950年代、フランスの植民地アルジェリアで、独立運動が激しくなりました。
独立に抵抗するフランス人入植者や軍部と、民族解放戦線(FLN) が武力衝突を続けました。
1958年、アルジェリアの問題に対応するため、フランスでは強い権限を付与されたド=ゴールを大統領とする第 五  共和政が成立しました。
1962年、ド=ゴールは アルジェリア  の独立を承認しました。
また、 ド=ゴール  は、アメリカに追随しない独自の外交をおこないました。

日本

国際社会への復帰

1956年、 日ソ共同宣言 
日本とソ連の国交を回復した宣言
ソ連との国交が回復したことで、日本は国際連合への加盟を実現しました。

韓国との国交正常

1965年、 日韓基本条約 
大韓民国の 朴正熙  政権と日本が調印した条約で、日韓の国交を樹立

ソ連の「雪どけ」

ソ連

雪どけ

1953年のスターリン死去後、ソ連のフルシチョフは「 雪どけ 」と呼ばれる、次のような平和共存の提唱と東西間の緊張緩和をおこないました。

米ソ首脳会談の実現と再度の緊張

1958年、ソ連第一書記フルシチョフは首相を兼任しました。
1959年、フルシチョフは、次のことでソ連がアメリカと対等な力をつけたとして、アメリカ大統領アイゼンハワー(アイゼンハウアー)との会談に臨みました。
1960年、アメリカの偵察機がソ連上空で撃墜されると、米ソの関係は再度緊張しました。

ポーランド

 1956  年、ポズナニ暴動
 ポーランド  のポズナニで起こった、民主化を要求する大規模な反ソ暴動
共産党が指導者をゴムウカに交替させ、自由化路線を採用

ハンガリー

1956年、ハンガリーで社会主義体制とソ連からの離脱を求める運動が全国的に拡大しました。
1956年、 ハンガリー事件 
ハンガリーのブダペストで起こった反ソ暴動
 ソ連  が軍事介入して動きを鎮圧し、暴動で就任した首相ナジを処刑

東ドイツ

1950年代末、東ドイツでは農業などの集団化が推進され、東ベルリンから西側に脱出する人々が急増しました。
1961年、東ドイツは東西ベルリンの境界に壁を建設し 、人々の脱出を阻止しました。