ベトナム戦争と第三世界の動向

表記について
概要
第二次世界大戦後、ベトナムはフランスとの戦争を経て、社会主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)と、アメリカが支援するベトナム共和国(南ベトナム)に分かれました。1960年、南ベトナム解放戦線がゲリラ戦を展開、社会主義の拡大を恐れたアメリカは1965年に軍隊を派遣しました。戦争が泥沼化するなか、アメリカの爆撃機が飛来する沖縄県では、本土復帰を望む声が一層強まりました。またアメリカは、和平交渉を進めるために外交方針を変更し、北ベトナムを支援する中華人民共和国に接近しました。

ベトナム戦争とインドシナ半島

北ベトナムの攻勢

1960年、南ベトナム解放民族戦線 が結成され、ベトナム民主共和国 (北ベトナム)と連携して、ゲリラ戦を展開しました
1963年、ベトナム共和国(南ベトナム)の大統領ゴ=ディン=ジエムが、軍部クーデタによって殺害されました。
南ベトナムの情勢変化を見て、北ベトナムは攻勢を強めました。
1964年、トンキン湾事件
アメリカの駆逐艦が北ベトナムから攻撃を受けたとでっち上げられた事件
アメリカによる北爆とベトナム戦争開始のきっかけ
1965年、アメリカ の大統領ジョンソン は北ベトナムへの爆撃(北爆 )をおこないました。

ベトナム戦争

1965~73年、ベトナム戦争
ベトナム民主共和国(北ベトナム)・南ベトナム解放民族戦線と、ベトナム共和国(南ベトナム)・アメリカ の戦争
ソ連・中華人民共和国 が北ベトナムを支援し 、戦争は泥沼化
1968年、アメリカが内外の批判と財政赤字のために和平交渉を開始
1968年、共和党のアメリカ大統領ニクソンが、アメリカ軍の犠牲を軽減するニクソン=ドクトリンを表明
枯葉剤
ベトナム戦争中、アメリカが使用し 、森林破壊と健康被害が発生
1973年、ベトナム和平協定 パリ和平協定)調印
アメリカが南ベトナムから撤兵
ウォーターゲート事件
アメリカ大統領ニクソン の辞任の原因になった事件
大統領選挙の際に、ニクソンが政敵の事務所に盗聴器を設置したことが発覚
1975年、ベトナム民主共和国の軍と南ベトナム解放民族戦線が、サイゴン を陥落させました。
1976年、南北ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国 が成立しました。

ベトナム戦争の影響

沖縄返還

日本の沖縄県の米軍基地は、ベトナム戦争に利用されました。
戦火に巻き込まれることへの批判が高まり、沖縄返還の要求が強まりました。
結果として1972年、沖縄返還が実現しましたが、米軍基地は残されました。

米中接近

アメリカは台湾の中華民国を「正式な」中国とし、中華人民共和国を否定してきました。
アメリカは、ベトナム戦争の和平交渉を進めるため、北ベトナムを支援する中華人民共和国との国交正常化に乗り出しました。
1972年、アメリカ大統領ニクソン が中華人民共和国を訪問し、毛沢東と今後の関係回復を合意しました。
1978年、日中平和友好条約
ニクソンの訪中後の1972年に、日本の首相が訪中して事実上日中国交正常化し 、後に締結された条約
アメリカの方針転換により、1971年、中国の国連代表権が中華民国から中華人民共和国 に移りました。

第三世界の動向

開発独裁

1960年代、第三世界では、強権的支配の下で政治・社会運動を抑圧しながら近代化を強行する、開発独裁と呼ばれる体制が登場しました。

大韓民国

大韓民国の大統領李承晩は、抑圧的な反共体制をとりました。
1960年、李承晩は民主化と経済発展を求める運動で失脚しました。
1963年、軍人出身の朴正熙 クーデタで政権を掌握し 、大統領に就任して民主化運動を弾圧しました
1965年、日韓基本条約
大韓民国の朴正熙 政権と日本が調印した条約で、日韓の国交を樹立

東南アジアの国々

カンボジア

1970年、カンボジアでは、親米右派と赤色クメールなど解放勢力が内戦を続けました。
1975年、カンボジア ポル=ポト 政権が成立しました。

ラオス

1960年代、ラオスでは、右派と左派のラオス愛国戦線(パテト=ラオ)が内戦を続けました。
1975年、愛国戦線が勝利し、ラオス人民民主共和国が成立しました。

マレーシア・シンガポール

1963年、マラヤ連邦がシンガポールや英領ボルネオと合流し、マレーシアと国名を変更しました。
1965年、中国系住民の多いシンガポール マレーシア から分離・独立しました。

インドネシア

インドネシアの大統領スカルノは、共産党と協力し、中華人民共和国との関係を強化しました。
1965年、九・三〇事件
インドネシアの軍部がクーデタ計画を口実に共産党を弾圧した事件で、大統領スカルノ が失脚
1968年、スハルト が大統領に就任し、工業化や近代化を推進しました。

東南アジアの地域協力

1967年、東南アジア諸国連合 ASEAN
ベトナム戦争中 インドネシア マレーシア シンガポール ・フィリピン・タイで結成した協力機構
当初は反共軍事同盟の傾向があったが、後に政治・経済面での協力機構に変化
カンボジアは不参加

イラン

イラン国王パフレヴィー2世の指導で、反対派を弾圧しました。
1963年、白色革命と呼ばれる経済・社会の近代化事業が開始されました。

インド・パキスタン

独立・分離後、インドとパキスタン の間で、カシミール地方の帰属をめぐって カシミール紛争が発生しました。
1971年、第3次インド=パキスタン戦争
インドとパキスタンの戦争で、 パキスタンがバングラデシュ として独立
東パキスタン
パキスタンの独立後、東西が言語などの違いから対立