概要
ベトナム戦争への戦費投入は、アメリカの国家財政を圧迫しました。アメリカのドルを基軸通貨にしたブレトン=ウッズ体制が崩壊し、アメリカの牽引力が相対的に低下しました。また、石油危機が発生したことで、先進国は経済危機に直面しました。このような経済危機は、長く続いた冷戦を終結へと向かわせました。
石油危機
ブレトン=ウッズ体制の崩壊
1960年代、アメリカでは、ベトナム戦争への膨大な戦費投入が国家財政を圧迫しました
。
また、アメリカの貿易収支は、日本・西欧などの成長で赤字になりました。
第二次世界大戦後のブレトン=ウッズ体制が、ニクソン
政権下の次の出来事で崩壊しました。
第4次中東戦争と石油危機
1973年、
第4次中東戦争
エジプト・シリアとイスラエルの戦争
1968年にサウジアラビア
が結成を主導したアラブ石油輸出国機構
(OAPEC)が、イスラエル支持国に対して原油輸出を停止(石油戦略)
石油輸出国機構(OPEC)が、原油価格を大幅引き上げ
1973年、
第1次石油危機
第4次中東戦争におけるアラブ産油国の石油戦略を背景に、先進工業国の経済成長が減速した出来事
1975年~、先進国首脳会議(サミット)
経済成長の鈍化、多国籍企業の問題、環境汚染など、相互に共通する問題に対応するための会議
シナイ半島の返還
第4次中東戦争後の
1979年、エジプト
の大統領サダト
は、イスラエルと次のことを合意した平和条約を結びました。
途上国の発展と先進国の社会変容
新興工業経済地域の登場
1985年、プラザ合意
アメリカの貿易赤字を解決するため、各国の協力でドル安を進めることを合意
以降、先進国の企業が途上国への工場移転を開始
途上国は、低賃金によるコスト削減を強みに、先進国の企業を誘致しました。
結果、大韓民国
・台湾
・香港・シンガポール
・ブラジルなどが経済的に台頭し、新興工業経済地域
(NIES)と呼ばれました。
先進国の貿易摩擦
先進国では企業の工場が次々と国外に移転しました。
1980年代、アメリカ・西欧・日本の間で先端技術開発をめぐる競争が発生し、また、自動車やコンピュータなどの部門で貿易摩擦が激しくなりました。
女性の社会進出
アメリカでは、公民権運動に参加した女性たちが、女性解放運動を始めました。
1970年代、女性の社会進出が進みました。
高度経済成長のひずみ
先進国では、経済成長が進むにつれて、大気・河川・土壌などの環境汚染が問題になりました。
1962年、レイチェル=カーソンが『沈黙の春』を刊行し、農薬が生物に与える否定的影響について警鐘を鳴らしました。
1972年、
国連人間環境会議
「かけがえのない地球」をスローガンとしてストックホルムで開催された会議
1980年、西ドイツでは環境保護推進を掲げる「緑の党
」が結成されました。
原子力発電の管理
次の原子力発電所の事故が起こり、原子力発電の問題が指摘されました。
- 1979年、アメリカのスリーマイル島
で原子力発電所の事故
- 1986年、ソ連
(現ウクライナ)のチェルノブイリ
で原子力発電所の事故
冷戦の終結
パナマ運河の返還
1970年代後半、アメリカ大統領カーター
は、人権を重視する外交人権外交
を展開しました。
1977年、カーターはパナマ運河をパナマに返還することに同意しました。
さらに1979年、中華人民共和国と国交を樹立しました。
第2次石油危機
1979年、
イラン革命
イスラームのシーア派の
ホメイニ
を指導者として、国王パフレヴィー2世の近代化路線に反対した革命
ホメイニを指導者とするイラン=イスラーム共和国が成立
1979年、第2次石油危機
国王パフレヴィー2世を支持してきたアメリカとイランの対立が激化し、石油危機が急騰した出来事
ソ連のアフガニスタン侵攻
1979年、ソ連がブレジネフ
政権下でアフガニスタン
に侵攻しました。
レーガン政権のアメリカ
1981年、レーガンがアメリカ大統領に就任しました。
強いアメリカ
アメリカ大統領レーガン
は、従来の対ソ外交を批判し、「強いアメリカ」を唱えました
。
レーガン政権下のアメリカは、社会主義政権を打倒するために、カリブ海のグレナダ
に侵攻しました。
小さな政府
アメリカ大統領レーガン
は、減税政策を実施し
、「小さな政府」を目指す新自由主義を提唱しました。
インフレは抑制されましたが、不況は継続しました。
新自由主義の各国政権
イギリス
:
1979年、保守
党からの初の女性首相サッチャー
が内閣を組織
社会主義体制の建て直し
1985年、ソ連書記長にゴルバチョフ
が就任し、行き詰まった社会主義体制を次の政策で建て直そうとしました。
- グラスノスチ
秘密主義を廃止し、情報公開を進めること
- ペレストロイカ
ソ連全体の改革を図り、自由化・民主化を進めること
冷戦の終結
米ソの緊張は、次のことを背景に緩和に向かいました。
1987年、
中距離核戦力(INF)全廃条約
調印
アメリカ大統領レーガン
とソ連書記長ゴルバチョフ
との間で調印された、地上発射の核戦力の廃棄に関する条約
1989年、ソ連がゴルバチョフ
政権下でアフガニスタンから撤退しました
。
1989年、
マルタ会談
アメリカ大統領ブッシュ
とソ連書記長ゴルバチョフが地中海のマルタ島で開催した会談で、冷戦の終結を宣言