概要
		発展途上国が発展するためには、権力分散や民主化は
		非効率としばしば考えられ、少数の有力者による強権的な政策決定がおこなわれてきました。これを開発独裁と呼びます。1980年代、インドネシアやシンガポールで成功し、「東アジアの奇跡」といわれました。しかし、政権内の腐敗を招くことも多く、そのほとんどが民政移管しました。
	
 
	
	途上国の民主化
	ラテンアメリカの軍事独裁政権
	1980年代、ラテンアメリカでは、開発独裁と呼ばれた軍事独裁政権が敗れ、選挙で選ばれた者に政権を移譲しました(民政移管)。
	アルゼンチン
	1982年、
フォークランド戦争
			
		(
フォークランド紛争)
アルゼンチン
				
			とイギリス
				
			との間にフォークランド諸島の領有をめぐって起きた戦争
	 
	
	1983年、戦争に敗れたアルゼンチンは民政移管しました。
	ブラジル
	1985年、ブラジルは民政移管しました。
	チリ
	1970年、チリ
			
		でアジェンデ
			
		が大統領となり、史上初の選挙による
			
		社会主義政権を樹立しました。
	1973年、チリ
			
		のアジェンデ
			
		政権が、アメリカ
			
		に支援されたピノチェト
			
		らの軍事クーデタで倒されました
			
		。
	ピノチェト
			
		はチリ
			
		で軍事政権を樹立しましたが、1988年、民政移管しました。
	アジアの軍事独裁政権
	大韓民国
	1980年、
光州事件
			
		
		朴正熙大統領の死後、大韓民国
				
			の光州で発生した民主化運動を軍が弾圧し、多数の死傷者を出した事件
	 
	
	1991年、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が、国連に同時加盟しました
			
		。
	
	1992年、文民出身の金泳三
			
		が大統領になり、久々の文民政権が誕生しました。
	
	
	1998年、金大中
			
		が大統領になり、民主化とともに、北朝鮮を訪問して南北首脳会談
			
		を実現しました。
	台湾
	1988年、李登輝
			
		が総統に就任し、民主化を推進しました。
	2000年、陳水扁
			
		が国民党に属さない
			
		初の総統に選ばれました。
	インドネシア
	1998年、インドネシアでは、独裁体制のスハルト
			
		が退陣し、民政移管しました。
	インド
	1990年代、国民会議派にかわって、インド人民党を中心とした政権が成立しました。
	この政権は経済の自由化や外貨の導入を進めました。
	アジアの社会主義国の変容
	中国
	改革開放と天安門事件
	1977年の文化大革命終了の宣言後、鄧小平
			
		は次のような経済の「改革開放」を進めました。
	
		- 人民公社
				
			の解体
 
		- 生産請負制(生産責任制)
農家が政府から生産を請け負い、一定数量の生産物を納めれば、余った分を自由にしてよいとする制度
		 
		- 経済特区
外国資本・技術を導入を目的に、関税免除や所得税の優遇措置を与えた地区
		 
		- 国営企業の独立採算化
社会主義下では、国家予算から費用が与えられ、代わりに収入が国家に吸収されたが、意欲の低下と生産の非効率が深刻化
			自主性を与える代わりに各企業に収支の責任を追わせる方針に転換
		 
	
	
	急な市場経済化は混乱を生み、学生・知識人などが、共産党の一党支配や民主化なしでの改革に不満を抱きました。
	
	1989年、
天安門事件
			
		
		中国の北京
				
			で、大規模な民主化運動が政府に弾圧された事件
		
	 
	
	香港の返還
	1997年、イギリスから香港
			
		が返還されました。
	返還後の香港は、社会主義体制の中国のなかで資本主義の存在が認められる、一国二制度の下で統治されました。
	一国二制度
香港同様に、16世紀に居住権を獲得したポルトガル
				
			が1999年に返還したマカオにも適用
	 
	中国内の自治区
	中国内のチベット自治区や新疆ウイグル自治区では、漢民族の流入が増加した結果、民族対立が激化しました。
	2008年にチベットで、2009年に新疆ウイグルで暴動が発生しました。
	モンゴル
	ソ連の社会主義圏に属したモンゴル人民共和国では、ソ連の解体と並行して、1990年に自由選挙が実行されました。
	1992年、モンゴル人民共和国は社会主義を止め、国名をモンゴル国に変更しました。
	ベトナム
	南北統一後のベトナムは、南部の社会主義化の混乱とカンボジアへの介入で経済が低迷しました。
	船で南部から脱出した人々「ボート=ピープル」が難民となり、ベトナムは国際的な批判を受けました。
	
	1979年、
中越戦争
			
		
		カンボジア問題をめぐった、中華人民共和国とベトナム
				
			の戦争
		ベトナムが中国の支援を受けたカンボジアに派兵したことで、中国がベトナム北部に侵入して開戦
	 
	
	1986年、ベトナム
			
		は市場経済を導入するドイモイ
			
		(刷新)政策を採用し、経済状況を好転させました。
	カンボジア
	1976年、カンボジア
			
		ではポル=ポト政権が実権を握り、閉鎖的な共産主義社会の建設を強行しました。
	ポル=ポト
			
		政権は、自国民であるカンボジア
			
		の人々の大量虐殺をおこないました
	ポル=ポト
			
		政権は、反ポル=ポト派を支援する形で、ベトナム
			
		の侵攻を招きました。
	
	1979年、ベトナムの攻撃でポル=ポト政権は崩壊しました。
	ベトナム占領下、ヘン=サムリンを首班とするカンボジア人民共和国が樹立されました。
	親ベトナムのカンボジア人民共和国を認めない三派連合は、ゲリラ戦を展開しました。
	ベトナムの占領は約10年間続き、1989年、ようやく軍が撤退されました。
	
	1993年、シハヌークが再び国王になり、カンボジア王国を樹立しました。
	朝鮮民主主義人民共和国
	1991年、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が、国連に同時加盟しました
			
		。