地域紛争の激化

概要
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表記について

東欧・ロシアの地域紛争

ユーゴスラヴィア内戦

ユーゴスラヴィアは、「7つの国との国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と形容されたほど、複雑に構成された社会主義の連邦国家でした。
問題を抱えつつも、ユーゴスラヴィアは、ティトーの下で維持されていました。
1980年のティトーの死後 、そして冷戦終結後、ユーゴスラヴィアは武力を伴う激しい民族紛争を起こしながら 解体に向かいました。
1991~95年、 ユーゴスラヴィア内戦 
スロヴェニア・ クロアティア  がユーゴスラヴィアからの独立を宣言したのに対して、 セルビア  ・モンテネグロが連邦を維持しようとして起こった内戦
セルビアがNATO軍の空爆を受けて停戦し、ユーゴスラヴィアが解体

コソヴォ紛争

解体後の旧ユーゴスラヴィアでは、セルビアの自治州コソヴォの独立をめぐって紛争が起こりました。
1999年、人道的惨事の危険性が高まったため、コソヴォ紛争にNATO軍が介入しました
2000年、セルビアがコソヴォから撤退しました。

チェチェン紛争

1994年、 チェチェン紛争  勃発
ロシア連邦からの独立を求める北カフカスのチェチェン人に対し、連邦政府が武力鎮圧を試みて始まった民族紛争

中東・アジアの地域紛争

イスラエルとアラブ諸国の争い

第4次中東戦争

1973年、 第4次中東戦争 
エジプト・シリアとイスラエルの戦争
1968年に サウジアラビア  が結成を主導した アラブ石油輸出国機構  (OAPEC)が、イスラエル支持国に対して原油輸出を停止(石油戦略)
石油輸出国機構(OPEC)が、原油価格を大幅引き上げ

シナイ半島の返還

第4次中東戦争後の 1979年、 エジプト  の大統領 サダト  は、イスラエルと次のことを合意した平和条約を結びました。
エジプト:
イスラエルを承認
イスラエル:
シナイ半島を エジプト  に返還

暫定自治政府の樹立

1993年、 パレスチナ暫定自治協定  (オスロ合意)調印
アメリカ大統領 クリントン  の仲介で、 イスラエル  の首相ラビンと、 パレスチナ解放機構   PLO )の議長 アラファト  が調印した協定
イスラエルが占領地におけるパレスチナ人の暫定自治政府を承認
1995年、イスラエルの首相ラビンがユダヤ教急進派に暗殺され、和平への道が再び閉ざされました。

イランとイラクの争い

イランの変化

1979年、 イラン革命 
イスラームのシーア派の  ホメイニ  を指導者として、国王パフレヴィー2世の近代化路線に反対した革命
ホメイニを指導者とするイラン=イスラーム共和国が成立
以降、イランはイスラームを国家原理とし、欧米諸国に強硬な態度をとりました。
特にパフレヴィー2世を支持してきたアメリカと対立を強めました。

イラクの新政権

1968年以来、イラクでは社会主義を掲げるバース党が政権を担当しました。
1979年、サダム=フセインがバース党の指導権を握り、大統領に就任しました。
1980~88年、 イラン=イラク戦争 
イラン革命の混乱に乗じてイラクがイランに侵入して開戦
イランと対立していたアメリカがイラクを支援したことで、後にイラクが軍事大国化
1991年、 湾岸戦争 
1990年、イラクが クウェート  に侵攻したことに、国際連合が武力制裁を決定
決定を根拠にアメリカ(アメリカ大統領 ブッシュ  在任中)などの多国籍軍が派遣され 、イラクがクウェートから撤退して停戦