東南アジアの諸文明

表記について
概要
東南アジアは、インドシナ半島などの大陸部と、インドネシアやフィリピンを含む島々からなる諸島部(島嶼とうしょ部)で構成されます。これらの地域は、香辛料をはじめとする資源の豊かさゆえに、外の世界と交易でつながり、インドや中国、イスラームの影響をうけつつ独自の文明を築きました。

大陸部の国の形成

現在のベトナム周辺

前4世紀~

前4世紀、ベトナム北部を中心に独特の青銅器を生み出したドンソン文化が発展しました。
この文化を象徴する青銅器銅鼓どうこ は、中国南部から東南アジアにわたる各地で発見されています。
銅鼓
銅鼓

2世紀

2世紀、チャム人が現在のベトナムの地にチャンパー林邑りんゆう)を建国しました。
この国はインド文化の影響を受けました。
チャンパー
チャンパー

11世紀~

ベトナム北部は、前漢時代以来中国に服属していました。
しかし、同地域で少しずつ独立の動きが強まりました。
11世紀、李公蘊りこううん大越国(李朝)を建国しました。
13世紀、大越国では陳氏が王位を奪い、新たな王朝陳朝ちんちょう を築きました。
陳朝では、ベトナム語を書くために漢字を利用した字喃チュノム)と呼ばれる文字が作られました。
同じ国でも王の家系に応じて「○○朝」「△△朝」と呼び分け

現在のカンボジア周辺

1世紀末~

1世紀末、クメール人が、メコン川下流域の現在のカンボジアの地に、東南アジア最古の国家扶南ふなんを建国しました。
この国は、港オケオを中心にした港市国家で、海の道の中継地として繁栄しました。
オケオ
オケオとメコン川

6世紀

6世紀、クメール人がメコン川中流域にカンボジア真臘しんろう)を建国し、扶南を滅ぼしました。
12世紀のアンコール朝の時代、ヒンドゥー寺院としてアンコール=ワットが造営されました。
アンコール=トム
カンボジアのアンコール朝の都城
アンコールワット
アンコール=ワット

現在のミャンマー周辺

11世紀

11世紀、ビルマ(ミャンマー)人が、パガン朝を建てました。
この国では、スリランカとの交流により上座部(小乗)仏教が広まりました。

現在のタイ周辺

7世紀~11世紀

7世紀、モン人がチャオプラヤ川下流にドヴァーラヴァティー王国を建国しました。

13世紀

13世紀、タイ人がチャオプラヤ川流域に、タイ人最古の王朝であるスコータイ朝を建国しました。
歴代の王の信仰もあり、上座部(小乗)仏教が広まりました。

諸島部(島嶼部)の国の形成

スマトラ島

7世紀

7世紀、シュリーヴィジャヤ王国(スリウィジャヤ王国)が成立しました。
この王国では、仏教が栄えました。
7世紀、義浄は、インドへの往復の途中滞在し、仏教が盛んな様子を記しています。
また、この王国では海上交易も栄え、に朝貢使節を派遣しました。
義浄-『南海寄帰内法伝』より
咸亨かんこう 2年(671年)11月、広州(広東)から船に乗り、帆を挙げて南海に向かい、諸国を歴訪して西に向かった。咸亨4年(673年)2月8日、ようやく東インドの海口(ガンジス河口)に到着した。翌年の5月には、再び西に向かいナーランダに到着した。そして、仏教の聖跡すべてを歴訪した。

ジャワ島

8世紀

8世紀、仏教国のシャイレンドラ朝やヒンドゥー国のマタラム朝が成立しました。
シャイレンドラ朝では、仏教寺院としてボロブドゥールジャワ島に建設されました。
ジャワ島
ジャワ島
ボロブドゥール
ボロブドゥール