西ヨーロッパ中世世界の誕生

概要
「カールの戴冠」は歴史的に重要な意義をもっています。西ローマ帝国の皇帝が復活することで、ローマ教会・西ヨーロッパは、ビザンツ帝国皇帝の干渉から切り離されいきました。ここに、ローマ帝国以来存続した地中海世界が、西ヨーロッパ世界・東ヨーロッパ世界、そしてイスラーム世界の3つに分かれ、独自の歴史を歩むことになっていきます。
表記について

中世世界の誕生

フランク王国の強大化

8世紀末、ピピンの子 カール大帝  シャルルマーニュ )は、イタリアの ランゴバルド王国  を滅ぼしました。
結果、大多数のゲルマン諸部族が統合され、ローマ=カトリックに改宗させられました。
『ローランの歌』はカール大帝の時代が題材
さらにカール大帝は、東では アヴァール人  を、南ではイスラーム勢力を撃退しました。
西ヨーロッパの主要部分はフランク王国によって統一されました。
フランク王国は国内を州に分け、各地の有力者を州の長官 伯  として置きました。
また、伯を監督する 巡察使  も派遣しました。

教会の政治的保護者

ローマ教会は、カール大帝に教会の政治的保護を期待しました。
800年、ローマ教会教皇 レオ3世 は、カール大帝にローマ皇帝の冠を授け、西ローマ帝国復活を宣言しました。
所謂「カールの戴冠たいかん」は、次の重要な歴史的意義をもちます。
ローマ教会がビザンツ帝国から完全に分裂するのは11世紀

フランク王国の分裂

カール大帝の死後、フランク王国に内紛が起こりました。
843年、 ヴェルダン条約 
フランク王国を西フランク王国・東フランク王国・中部フランク王国の3つに 分けた条約
870年、メルセン条約
中部フランク王国の一部を西フランク・東フランクに編入し、残りをイタリアとした条約
イタリア
この時点では地理的な呼称に過ぎず、国家としてイタリアが成立するのは1861年
これら王国は、西フランク王国が後のフランスに、東フランク王国が後のドイツに発展していきます。

東フランク王国(ドイツ)

10世紀、東フランク王国ではカロリング家の血統が断絶し、王は諸侯の選挙で選ばれるようになりました
919年、新たにザクセン家による王朝が成立しました。
諸侯が選出する慣習は、神聖ローマ帝国の七選帝候に継承
ザクセン家の 王オットー1世 は、ウラル語系の マジャール人  を撃退しました。
さらにオットー1世は北イタリアを制圧しました。
962年、 オットー1世  教皇ヨハネス12世からローマ皇帝の帝冠(帝位)を授けられました
ここに神聖ローマ帝国が始まり、オットー1世はその初代皇帝となりました。
神聖ローマ帝国皇帝のイタリア政策は、国内の統治が疎かになり、国内の不和と分裂をもたらしました
イタリア政策
10~13世紀、神聖ローマ帝国皇帝がおこなったイタリアへの攻略・干渉政策

西フランク王国(フランス)

10世紀末、カロリング家の血統が断絶しました。
パリ伯 ユーグ=カペー が王位につき、カペー朝 を開きました。

イタリア

東フランク・西フランク同様に、カロリング家の血統が断絶しました。
血統の断絶後、イタリアは統一を保てず、長い分裂を迎えます。
ローマを中心とした教皇領と並び、ジェノヴァやヴェネツィアなどの都市が独立して繁栄しました。
イタリア
地理的な呼称に過ぎず、国家としてイタリアが成立するのは1861年

西ヨーロッパ中世世界と外部

外部勢力の侵入

8~10世紀、外部勢力が西ヨーロッパへの侵入を繰り返しました。

東部

東方からはスラヴ人やマジャール人が侵入しました。
これら侵入に対して、 カール大帝 がマジャール人を撃退しました。

南部

南部からはイスラーム勢力が侵入しました。

ノルマン人の活動

北欧にはヴァイキングと呼ばれる ノルマン人 (ゲルマン人の一派)が居住していました。
9世紀頃から、ヴァイキング(ノルマン人)は海賊行為を伴う交易を繰り返し、北欧や西ヨーロッパ各地に進出して次の国家を建設しました。
ノルマン人がキリスト教に改宗されると、その移動を終えていきました。
一連の動きで、北欧が西ヨーロッパに組み込まれました。

大ブリテン島(イングランドやスコットランド)の歴史

アングロ=サクソン人(族)が大ブリテン島に 七王国  を建国しました。
9世紀、これらは統一され、アングロ=サクソン王国が大ブリテン島のイングランドに成立しました。
9世紀末、アングロ=サクソン王国の アルフレッド大王  が、侵入した ノルマン人  を撃退しました。
1016年、デンマーク地方のノルマン人であるデーン人の王 クヌート  カヌート )がイングランドを征服しました。
1066年、ノルマンディー公 ウィリアム が、イングランドに  ノルマン朝 を建国しました。