概要
1000年頃から、西ヨーロッパでは農業生産が増大し、人口が飛躍的に増えました。反面、土地の不足が懸念され、開墾運動・国土回復運動・聖地奪還など、西ヨーロッパ世界は内外に膨張しはじめました。農業生産の増大は都市と商業にも影響を与え、貨幣経済が大きな広がりをみせました。
膨張の時代
農業生産の増大
11世紀から西ヨーロッパでは、荘園の耕地を春畑・秋畑・休閑地
に等分して輪作する農法三圃制
が普及しました。
また、農具が改良され、牛にひかせる鉄製(重量)有輪犂も普及して
、農業生産力が向上しました
。
結果、西ヨーロッパの人口は急激に増加しました。
三圃制
等分した土地のうち、休閑地とする場所を1年ごとに替え、肥料を使わずに地力を回復させる農法
有輪犂
*『ベリー公のいとも豪華なる時禱書』の3月暦絵
人口が増える一方で、土地の不足が問題となりました。
土地を求めて、修道院による開墾、イベリア半島の国土回復運動、十字軍の遠征などがおこなわれました。
内外に膨張する動きで、西ヨーロッパ世界は大きく変容しました。
十字軍の遠征
第1回十字軍
11世紀、イスラーム国家のセルジューク朝は、聖地イェルサレムを支配下に置き、ビザンツ帝国を脅かしました。
セルジューク朝の脅威に、ビザンツ帝国皇帝は、ローマ=カトリックの教皇に救援を要請しました。
1095年、
クレルモン宗教会議(
クレルモン公会議)
教皇ウルバヌス2世が開き、聖地奪回のために第1回十字軍
の派遣を提唱した会議
1096年、各国諸侯・騎士で構成された第1回十字軍が派遣されました。
1099年、第1回十字軍はイェルサレム
を奪回し、イェルサレム王国を建国しました。
イェルサレム王国
12世紀後半にマムルーク朝
が王国領の大半を占領し、13
世紀の末に陥落
第2・3回十字軍
第2回十字軍が、勢力を回復させたイスラーム勢力に対して派遣されました。
1187年、アイユーブ朝のサラディン
にイェルサレム
が奪回されました。
神聖ローマ皇帝・フランス国王・イギリス国王によって、第3回十字軍が派遣されました。
しかし、第3回十字軍はサラディンに退けられ
、聖地奪回の目的は果たせませんでした。
サラディン
第4回十字軍
13世紀の第4回十字軍は、参加者・資金が不足し、輸送を依頼したヴェネツィアの商人に代金を支払えませんでした。
代金確保を要求するヴェネツィア
の商人に押され、第4回十字軍はビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル
を占領しました。
占領後、第4回十字軍はラテン帝国
を建国しました。
コンスタンティノープル占領
廃位されたビザンツ帝国の皇子が、復権の見返りに代金を負担することを約束したため
第5~7回十字軍
その後も十字軍は派遣されましたが、聖地奪回は果たされませんでした。
その他の組織
十字軍が活躍した時代には次のような組織も存在しました。
- 少年十字軍
少年・少女を含んで結成された十字軍で、船の難破や奴隷として売られて失敗
- アルビジョワ十字軍
キリスト教の異端であるカタリ派を征討するための組織
- ドイツ騎士団
宗教騎士団の1つで、13世紀、十字軍の失敗後は東方植民で活躍してプロイセンの基礎となるドイツ騎士団領を形成
東方植民
人口増加に伴う西ヨーロッパ世界の膨張の一環で、スラヴ人居住地へ植民
十字軍派遣の複雑な動機
十字軍は、各方面から次のような思惑から計画されたものでした。
- 教皇
ギリシア正教との再統一に優位に立つため
- 国王・諸侯
新たな領地や戦利品を求めたため
- イタリア諸都市の商人
商業的利益を拡大するため
十字軍の影響
十字軍は失敗しましたが、西ヨーロッパに次のような影響を与えました。
- 遠征の相次ぐ失敗で、教皇の権威が失墜
- 遠征を指揮した国王の権威が強化
- イタリア諸都市が十字軍の輸送を担って繁栄
- 東西が交流することで、ビザンツ帝国やイスラームから西ヨーロッパへ文物が流入
商業の発展
商業圏の形成
11世紀に農業生産力が向上すると、余剰生産物が増加し、、都市・商業が興隆しました。
貨幣経済も広がり、農村の内部にも浸透しました。
このような11~12世紀の都市・商業・貨幣経済の活発化を「商業ルネサンス」と呼びます。
地中海商業圏
十字軍の出港地となったイタリアの都市が、地中海の東方貿易で成長しました。
ヴェネツィア
・ジェノヴァのイタリア商人は、東方貿易に従事し、西ヨーロッパの銀を輸出し、胡椒などの香辛料・絹織物を輸入しました
。
他にもイタリアのフィレンツェは毛織物工業で栄え
、後にルネサンスの中心となりました。
北ヨーロッパ商業圏(北方商業圏)
ハンブルク・リューベックなどの都市は、海産物・木材・穀物などを取引しました。
また、フランドル地方のブルージュは、毛織物工業で繁栄しました
。
イギリスではフランドルに毛織物の原料である羊毛を輸出しました。
南北の商業圏を結ぶ定期市
北ヨーロッパ商業圏と地中海商業圏の接点にあたるフランスのシャンパーニュ地方
では、大規模な市が定期的に立ちました。
中世都市の成立
中世都市は、司教座都市などが規模を大きくして形成されました。
中世都市は、はじめ封建領主の保護と支配をうけていましたが、商工業が発展すると次第に自由と自治を求めました。
11~12世紀以降、各地の都市は次々に自治権を獲得し、自治都市になりました。
イタリアの自治都市
イタリア諸都市は、領主である司教権力を倒し、市民による自治で運営されました。
中世イタリアの自治都市は、周辺の農村を支配に組み込んで都市国家に発展しました
。
中世都市の自治権の強さは一律ではありませんでしたが、イタリアでは裕福な市民たちが政権を握る共和国の成立も見られました。
ドイツの自由都市
ドイツの諸都市は、諸侯の力を抑えたい皇帝から特許状を得て、皇帝直属の自由都市(帝国都市)として地位を確立した。
言い換えれば、中世ドイツの自由都市は、皇帝に直属しつつ、諸侯に対抗する政治的自立を得ていました
。
自由都市
皇帝に対する兵員提供や納税の義務から「自由」であったことに由来
都市同盟
有力な都市は共通の利害のために、次のような都市同盟を結成しました。
都市の自治と市民
都市の空気
発達した中世都市は、城壁で囲まれていました
。
都市のなかでは、市民たちが封建的束縛から逃れて、自由を手にすることができました。
都市周辺の荘園からは、農奴が自由を求めて都市に流れ込みました。
「都市の空気は人を自由にする」
ドイツでは都市で1年と1日住めば自由な身分になる慣習あり
独自の行政組織-ギルド
市政をめぐる争い
中世都市の自治運営は、ギルドと呼ばれる同業組合が担いました。
中世都市では、商人や手工業者は原則としてギルドに所属しました
。
当初市政を独占したのは、貿易に従事する大商人の商人ギルドでした。
中世都市の手工業者は、大商人に対抗して職種別の同職ギルド
(ツンフト)を組織しました。
同職ギルドと商人ギルドが市政権を争うツンフト闘争を繰り広げました。
ギルドの組合員
同職ギルドには、独立した手工業の親方のみ
加入できました。
職人や子弟は加入できず、手工業の親方と職人や徒弟との間には、厳格な身分序列の関係がありました
。
市政に対する政治的権利も、手工業の親方のみがもちました
。
ギルドの規制
中世都市の同職ギルドは、自由競争を禁じ、商品の品質・規格・価格など生産統制をおこないました
。
規制は低かった手工業者の経済的地位を安定させましたが、後の時代には経済や技術の自由な発展を妨げました。
大富豪の登場
上層市民の中には、次のように大富豪となる一族もいました。
- フッガー家
ドイツの都市アウクスブルクの豪商で、イタリアとの羊毛取引や南ドイツの銀山経営で巨大な財産を獲得
- メディチ家
イタリアの都市フィレンツェ
の大富豪で、ルネサンス期にはその庇護のもと芸術が繁栄
ローマ教皇レオ10世やフランス王アンリ2世の妃を輩出
アウクスブルク
ドイツの都市で、南ドイツ産の銀で繁栄