イラン人の王国

表記について
概要
4王国分立後、一時期を除けば、オリエントを統一し続けたのはイラン人でした。まず前6世紀半ばにアケメネス朝が出て、途中のギリシア系王国を経て、前3世紀半ばにパルティアが、そして3世紀にササン朝が出ました。東西の要衝をおさえたイラン人の王国は、その文化を西方では地中海世界に、東方では日本にまで伝えました。

大帝国の登場

オリエントの再統一

前6世紀半ば、イラン(ペルシア)人のキュロス2世が、アケメネス朝を興し、メディア・リディアを滅ぼしました。
前539年、キュロス2世は新バビロニアを滅ぼし、ユダヤ人を捕囚から解放しました。
3代国王ダレイオス1世は、西はエーゲ海北岸に、東はインダス川に至る大帝国を建設し、オリエントを再統一しました。

アケメネス朝ペルシア

ダレイオス1世

ダレイオス1世の施策

中央集権化

各州にサトラップと呼ばれる知事を配置して全国を統治
サトラップの監察に、「王の目」「王の耳」と呼ばれる役人が巡回

財政の基礎固め

金貨・銀貨の発行、税制の整理、フェニキア人の海上交易の保護

国道と駅伝制

都市スサを起点とした国道「王の道」を敷設
ペルセポリス
ダレイオス1世が建設を始めた祭祀用の首都

アケメネス朝のその後

前5世紀前半、ペルシア戦争
アケメネス朝が、ギリシアの諸ポリスに敗れた戦い
前333年、イッソスの戦い
アケメネス朝の王ダレイオス3世が、マケドニアのアレクサンドロス大王に敗れた戦い
前330年、アレクサンドロス大王に征服されました。

イッソスの戦い

アケメネス朝の文化

文字:楔形文字を表音化したペルシア文字
宗教:ゾロアスター教(拝火教)
ゾロアスター教
世界は善神と悪神の闘争の場とし、最終的に善神が勝つと信仰
火を清浄なるものとして神聖視

善神アフラ=マズダ(右)

東西交易の要衝

パルティア王国

アレクサンドロス大王の死後、大王が征服したアジアの領土には、ギリシア系王朝セレウコス朝が開かれました。
前3世紀、セレウコス朝から自立したギリシア人がバクトリアを建てました。
同時期に、イラン人の族長アルサケスがカスピ海東南部にパルティア(中国名:安息)を建てました。
前2世紀半ば、パルティアは領域をイランからメソポタミアまで広げ、クテシフォンを首都とし、東西交易を独占しました。

パルティア王国(太線:交易路)

ササン朝ペルシア

紀元3世紀、イラン人アルダシール1世が、パルティアを倒してササン朝を建国しました。
ササン朝は、クテシフォンを首都とし、また、ゾロアスター教を国教に定めました。

ササン朝ペルシア
2代国王シャープール1世は、シリアにてローマ軍を破り、ローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜としました。

降伏したウァレリアヌス(左)
*シャープール1世(右)
6世紀、国王ホスロー1世はトルコ系遊牧民突厥とっけつと結び、中央アジアの遊牧民エフタルを滅ぼしました。
さらにビザンツ帝国との戦いも優勢に進めました。
642年、ニハーヴァンドの戦い
アラブ人のイスラーム軍に大破し、ササン朝の滅亡に繋がった戦い

イラン文明

ササン朝の2つの宗教

ゾロアスター教(国教)

ホスロー1世の時代に、教典『アヴェスター』が集大成

マニ教

ゾロアスター教・仏教・キリスト教を融合したマニ教が成立
国内では異端視されたが、北アフリカや中央アジア、唐代の中国に伝播
アルビジョワ派と呼ばれるキリスト教異端派にも影響

ササン朝美術

技術・様式が東西に伝播し、東方では中国を経て次の作品が日本に伝わりました。

漆胡瓶

獅子狩文錦

年表