概要
18世紀、新しい動力として蒸気機関が誕生しました。人力に替わって紡績機・織機・船を動かし、生産活動だけでなく日常生活まで一変させました。一連の変革は産業革命と呼ばれ、石炭の供給に支えられたイギリスから始まりました。産業革命は多くの賃金労働者を生み出しましたが、法整備が追いつかず、労働問題や社会問題が生じました。
イギリスの産業革命
産業革命の前提条件
18世紀のイギリスでは、産業革命のための次の条件がそろっていました。
これら条件を背景に、イギリスでは綿工業の分野において
世界最初の産業革命が起こりました。
綿工業の技術革新
綿工業の発達
従来イギリスの主な工業は毛織物でした。
17世紀末、イギリスにインドから綿布が輸入されると、その需要が高まりました。
綿布と原料の綿花は、大西洋の三角貿易で取り扱われ、イギリスで綿工業が盛んになりました。
綿工業の発明と改良
1733年、ジョン=ケイ
が飛び杼を発明し、綿布の生産量が急速に増加しました。
この発明を機に綿工業の技術革新が始まった
反面、織物に使う綿糸が不足しました。
飛び杼
綿布生産を補助する装置で、糸を作る紡績機ではないことに注意
飛び杼
次のような糸を作る機械(紡績機)が発明され、綿糸が大量に生産されました。
- 1720~28年頃、ハーグリーヴズが発明した多軸紡績機
- 1769年、アークライト
が発明した水力紡績機
- 1779年、クロンプトン
が発明したミュール紡績機
ミュール紡績機
*初期
1785年、カートライト
が、ワットが改良した蒸気機関を動力に利用した
織機(力織機)を発明しました。
蒸気の利用
蒸気機関の改良
18世紀初め、ニューコメン
が実用的な蒸気機関を考案しました。
1769年、ワット
が蒸気機関に画期的な改良を加えました。
この改良を機に、蒸気機関は水力に代わる新たな動力として応用されました。
ワットの蒸気機関
他部門への影響
蒸気機関を利用した紡績機・力織機は、綿工業の生産性を高めました。
資本家は機械を用いた工場経営に着手していきました。
これにより、機械工業、機械の原料の鉄をつくる鉄鋼業、蒸気機関のための石炭を生産する石炭業も発達しました。
18世紀前半、ダービー
が従来の木炭の代わりにコークスを利用した製鉄法を発明
交通革命
19世紀、交通・運輸が急速に発達する交通革命が起こりました。
鉄道
機械制工業が発達すると、原料・製品・石炭を安価に輸送するため、交通機関が発達しました。
1825年、スティーヴンソン
が蒸気機関車
を実用化しました。
19世紀前半、マンチェスター
とリヴァプール
が鉄道で結ばれました。
鉄道敷設の理由
リヴァプールの港で、海外からの綿花を輸入、マンチェスターで生産された綿製品を輸出
最初の旅客鉄道
*リヴァプール・マンチェスター間
蒸気船
1807年、アメリカ人のフルトン
が蒸気船を実用化しました。
ナポレオンに蒸気船を紹介するフルトン
「世界の工場」
産業革命を経た19世紀のイギリス
は、「世界の工場」と呼ばれました。
資本主義と社会問題
資本主義体制の確立
産業革命以前、工業は手工業が中心で規模が小さく、家内工業も多く存在していました。
産業革命で大規模な機械制工場が現れ、従来の工業の形態が急速に衰退しました。
大工場を経営する資本家が、労働者を雇って商品を生産させ、利潤を追求する資本主義体制が確立しました。
社会の変化と問題
人口集中
綿工業が発展した
マンチェスターなどの都市には、職を求めて人口が集中しました。
労働問題・社会問題
産業革命期のイギリスでは、女性や子どもが安価な労働力として工場で雇用されました
。
不衛生な環境で長時間働かされることもあり、労働問題・社会問題となりました。
炭鉱で働く子ども
労働条件の改善を目指し、労働組合の結成が進みました。
また、労働問題の解決を目指す社会主義思想が誕生しました。
1811年頃から17年間、機械の登場によって失業した労働者による機械打ち壊し運動が始まりました。
この運動はネッド・ラッド
に指導され、ラッダイト運動
と呼ばれました。