概要
17~18世紀、北アメリカ大西洋沿岸にイギリスの植民地が形成されました。イギリスは、フランスとの七年戦争で巨額の債務を抱えると、植民地に新たな重税を課しました。植民地人は不満を高め、1775
年、本国からの独立を求めて戦争を開始しました。
13植民地の動向
植民地人の自治と意識
17~18世紀、北アメリカ大西洋沿岸に、イギリスによって13の植民地(13植民地)が建設されました。
1619年、13植民地のヴァージニアで最初の植民地議会
が開かれるなど、自治制度が発達していました。
13植民地
1819年にスペインから買収されたフロリダ
が含まれないことに注意
13植民地の南部と北部では次のような違いがありました。
北部
北部の植民地では、信仰の自由を求めて移住したピューリタンが多くいました。
ピューリタンは、イギリス本国に対して強い批判意識をもちました。
南部
ヴァージニア
のような南部の植民地では、黒人奴隷をプランテーションで使い、タバコ
などの商品作物を生産し、イギリス本国に輸出しました。
先住民との争い
七年戦争と同時に起きた北アメリカでのフレンチ=インディアン戦争後、植民地人の居住地域はアパラチア山脈以東に限定されました。
イギリス本国への反発
イギリス本国は、重商主義政策
を採り、本国の商工業を守るために植民地の発展を抑えました。
また、七年戦争での財政赤字を補うため、植民地への課税を強化しました。
本国議会が定めた次の法律は、植民地人の不満をさらに高めました。
- 1765年、印紙法
13植民地での新聞・広告などに、本国発効の証票を購入して貼ることを義務化
13植民地は、植民地人がいない本国議会による課税に反対して、「代表なくして課税なし」と主張
- 1773年、茶法
イギリス東インド会社が13植民地に関税なしに紅茶を販売する権利を許可
植民地の商人より安価に流通できたので、事実上東インド会社が販売を独占
1773年、
ボストン茶会事件
茶法の制定をきっかけに
、植民地人が反発して船の積み荷を海に捨てた事件
ボストン茶会事件
*先住民に扮して積み荷を捨てる人々
アメリカ合衆国の独立
独立戦争
1774年、13植民地で大陸会議
が組織され、イギリス本国の圧政に反対しました。
1775年、レキシントン
とコンコードでイギリス軍との武力衝突が生じ、植民地・本国間の戦争が始まりました。
13植民地側では、ワシントン
が軍の総司令官に任命されました。
ジョージ=ワシントン
刊行物・宣言
刊行物
1776年、
トマス=ペイン
の『
コモン=センス
』
「常識」として、13植民地の独立の必要性を主張
のちに出された独立宣言にも影響
宣言
1776年、
独立宣言
13植民地の代表がフィラデルフィアで発表
イギリスの思想家ロック
の影響を受け、ジェファソン
らが起草したもの
万民平等、人民主権、被治者の同意による統治、革命権
など、人類普遍の原理をうたった宣言
アメリカ合衆国
独立を宣言した州が、1777年の連合規約で採用した国名
ベッツィ=ロスが作ったとされる星条旗
戦争の経過
次の国・義勇兵の動きで、13植民地の独立軍は次第に優勢になりました。
- フランス
が13植民地を援助
- 武装中立同盟にロシア
が参加し、イギリスを外交的孤立化
- フランス
のラ=ファイエット、ポーランドのコシューシコが義勇兵として参加
武装中立同盟
ロシア皇帝エカチェリーナ2世がイギリスに対抗して提唱
1781年、
ヨークタウンの戦い
イギリス側が敗北し
、13植民地側の勝利が決定的
1783年、
パリ条約
イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認し、ミシシッピ川以東
の領土を割譲
合衆国憲法の制定
1787年、
合衆国憲法
新生国家アメリカの政治体制を定めた憲法
フィラデルフィア
で開かれた憲法制定会議で制定
人民主権、各州の自治を認める連邦主義、次のような
三権分立の原則
を骨子に採用
- 行政権:大統領率いる政府
- 立法権:連邦議会
- 司法権:最高裁判所
憲法を支持して中央政府の権限強化を求める連邦派
と、憲法に批判的な反連邦派が、のちに政党対立を展開しました。
連邦政府の発足
1789年、合衆国憲法に基づく連邦政府が発足しました。
初代大統領にはワシントン
が就任しました。
財政と外交
ワシントンの政権では、次の者が財政と外交を担当しました。
外交:
独立宣言の起草者の一人で
、反連邦派を率いる国務長官ジェファソン
首都
1800年、首都ワシントン(コロンビア特別区)が建設されました。
合衆国の問題
アメリカ合衆国には次のように権利が無視される問題がありました。
- 黒人奴隷の継続
- 先住民の居住するアパラチア山脈以西への移住を解禁し、対立が激化