ヘレニズム時代

表記について
概要
紀元前336年、アレクサンドロス大王はマケドニア王国の国王として即位し、ギリシャからインドまで広がる帝国を築きました。大王の支配は短期間で終わったものの、ギリシャの文化が地中海東部やアジアにまで広がり、その後の世界を大きく変えました。この時に生じた「ギリシャ風の文化」をヘレニズムと呼びます。

マケドニアの侵入

有力ポリス間の争い

デロス同盟の盟主アテネに対して、ペロポネソス同盟の盟主スパルタは脅威を感じました。
前431~404年、ペロポネソス戦争
全ギリシアをまきこんだ、アテネとスパルタの戦争
アテネはペリクレスの病死で政治的に混乱し、アケメネス朝ペルシアの支援を受けたスパルタに敗北
前4世紀半ば、テーベというポリスがスパルタにかわり覇権を一時握りました。
アテネも勢力を回復し、ポリス間の争いは続きました。
やがて傭兵の登場で市民の団結が失われ、ポリスの在り方は変容しました。

諸ポリスの屈服

前4世紀後半、ギリシア人の一派がギリシア北方に建てたマケドニアが、王フィリッポス2世の下で勢力を拡大しました。
前338年、カイロネイアの戦い
マケドニアのフィリッポス2世がアテネ・テーベ連合軍を撃破した戦い
戦後、フィリッポス2世は諸ポリスをコリントスヘラス)同盟に集め、それらを支配

東方遠征

フィリッポス2世の子アレクサンドロス大王は、ペルシアを滅ぼすため、前334年、マケドニアとギリシア連合軍を率いて、東方遠征に出発しました。
①前333年、イッソスの戦い
アレクサンドロス大王がペルシア王ダレイオス3世の大軍を撃破した戦い
この戦いを契機に、エジプトを征服
②前331年、アルベラの戦い
アレクサンドロス大王が勝利し、ペルシアが滅亡
イッソスの戦い
イッソスの戦い
アレクサンドロス大王は、さらに軍をインド北西部に進め、東西にまたがる大帝国を築きました。
アレクサンドロス大王の急死後、領土はディアドコイ(後継者)と呼ばれる将軍らに争われ、やがて次の3つの国に分裂しました。

アレクサンドロスの帝国の分裂

ヘレニズム時代

東方遠征からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(前30年)までの約300年間を、ヘレニズム時代と呼びます。
この時代には、ギリシア風の都市がオリエントやその周辺に建設され、特にエジプトのアレクサンドリアは経済・文化の中心として栄えました。
アレクサンドリア
アレクサンドロス大王の各地に建設した植民市で、特にエジプトのものは、ムセイオン(王立研究所)を整備