南北戦争後のアメリカ合衆国

表記について
概要
南北戦争後、アメリカ合衆国では勝利した北部を中心に再統合が図られました。奴隷制が廃止されたほか、豊富な資源と移民の労働力に支えられて世界一の工業国へと発展しました。また、西部のフロンティア消滅にともない、アメリカは太平洋へと進出しました。

南北戦争の発展

奴隷制廃止と不平等

南北戦争の結果、アメリカ合衆国は奴隷制を正式に廃止しました。
1870年、黒人にも選挙権が認められました
しかし、黒人は政治的にも社会的にも白人と比べて不平等な立場に置かれ続けました
南部諸州では黒人の投票権制限や公共施設の利用制限がありました。
元南軍の兵士など一部の白人が、秘密結社ク=クラックス=クラン KKK)を組織し、非合法的手段で黒人を迫害しました。
また生活は苦しく、多くの黒人が自作農になれず(土地を所有できず) 、シュアクロッパー(分益小作人)として白人農場主へ従属しました。

フロンティアの消滅

1862年、ホームステッド法 自営農地法
160エーカーの国有地を貸与し、5年間耕作すれば無償で与えるという西部開拓促進法
南北戦争中 、西部農民の北部支持を期待して制定
西部開拓が促され、1869年、最初の大陸横断鉄道が完成しました
1890年、フロンティアの消滅が宣言されました
フロンティア
西部の未開拓地の意

世界一の工業国

南北戦争後、アメリカ合衆国の重工業は、天然資源に恵まれて著しく発展しました。
19世紀末、アメリカ合衆国は世界一の工業国になりました。
発展に合わせ、独占企業や高い運賃などに反対する農民運動(ポピュリズム)が高まりました。
労働運動も高揚し、1886年、アメリカ労働総同盟 が結成されました。

海外市場を求めて

太平洋への関心

カリフォルニア獲得後、アメリカ合衆国ではその西に広がる太平洋への関心が高まりました。

日本の開国

1854年、日米和親条約 締結
ペリーの来航により、日本の江戸幕府とアメリカが結んだ和親条約

ハワイ併合

18世紀末、ハワイに王国が成立しました。
19世紀、ハワイ王国 が滅亡しました。
1898年、アメリカ合衆国は太平洋のハワイ を併合しました。

北方への関心

アメリカ合衆国は北方にも関心を向け、1867年、ロシア からアラスカ を買収しました。
18世紀前半、ピョートル1世の命令でベーリングがシベリアとアラスカを探検
クリミア戦争で財政難に陥ったロシアのアレクサンドル2世が売却を提案