19世紀の欧米文化

表記について
概要
ナポレオンの支配は、ヨーロッパ各地で国民意識を目覚めさせ、19世紀初頭、民族・地域の固有文化や個人の感情を重視するロマン主義が成立しました。ロマン主義は近代の国民国家の形成にも寄与しました。19世紀後半には、ロマン主義に対抗する写実主義が唱えらえるようになりました。

19世紀の欧米文化

文芸上の傾向

19世紀初頭

フランス革命やナポレオンの征服は、啓蒙主義・普遍主義・合理主義への反発を招きました。
代わりに民族や土地固有の文化、個性を重視する思想が生まれ、ロマン主義と呼ばれました。
ロマン主義の画家
ドラクロワ
「キオス島の虐殺」でギリシア独立戦争時に起こったオスマン帝国 軍による住民虐殺を描画
七月革命を題材とした「民衆を導く自由の女神」を作成
「キオス島の虐殺」
「キオス島の虐殺」
ロマン主義の作家
ユゴー(ユーゴー)
ロマン 主義の作家で、代表作『レ=ミゼラブル』は七月革命の時期に執筆開始
1849年の国際平和会議の議長
トゥルゲーネフ
ロシア のロマン主義の作家で、ギリシア独立戦争に参加
バイロン
イギリスのロマン 主義を代表する詩人
ハイネ
革命詩人と呼ばれたドイツのロマン 主義の詩人で、『歌の本』などを著述
ロマン主義の作曲家
ショパン
「ピアノの詩人」と呼ばれる、ポーランドのロマン 主義の作曲家
ワグナー
ドイツ のロマン主義の作曲家で、楽劇を創始
シューベルト
オーストリアのロマン 主義の作曲家

19世紀後半

市民社会の成熟、近代科学・技術の発達が文学・芸術活動にも影響を与えるようになりました。
ロマン主義に対抗し、人間や社会の現実をありのままに描く思想が生まれ、写実主義(リアリズム)と呼ばれました。

19世紀末

写実主義の延長上に、科学的な観察を通して人間の偏見や社会の矛盾を描く思想が生まれ、自然主義と呼ばれました。
この思想から、外光による色の変化を重視したフランス絵画の印象派が登場しました。
自然主義の画家
ミレー
フランスの自然主義(写実主義)の画家で、「落穂拾い」など農村の生活を描画
「落穂拾い」
「落穂拾い」
自然主義の作家
ゾラ
フランスの自然 主義の作家で、代表作は『居酒屋』
バルザック
写実 主義の代表的な作家で、『ゴリオ爺さん』などの作成

近代諸科学

ドイツに近代的な大学が設立され、近代諸科学の教育・研究の拠点となりました。
19世紀以降、各国の近代諸科学の発展が促されました。

哲学・社会思想

カント
経験論と合理論を総合し、ドイツ観念論哲学の基礎を築いた人物
人間の認識能力に根本的な反省を加え、批判哲学を確立
ヘーゲル
弁証法に基づく観念論哲学を提唱した人物
ベンサム
「最大多数の最大幸福」を主張する功利主義の思想を創始した人物
コント
実証主義を唱え、社会学の創始者と評される人物

歴史学

ランケ
ドイツ の歴史家で、歴史資料(史料)の厳密な批判に基づく近代歴史学を確立した人物

経済学

マルサス
アダム=スミスのイギリス古典主義経済学を継承し、『人口論(人口の原理)』を著した人物
リカード
経済の一般法則を研究し、自由放任主義を主張した古典派経済学の人物
リスト
各国の資本主義の発展段階に応じて(特に後進の国には)保護貿易が必要とし、歴史学派経済学の先駆者となった人物
ドイツ関税同盟の結成に尽力
マルクス
ヘーゲルの観念論的弁証法を批判的に摂取し、弁証法的唯物論を樹立した人物
労働者階級の国際的連携を図るため、第1インターナショナルの結成に尽力
『資本論』を著し、資本主義がその内容の矛盾によって必然的に崩壊すると主張

自然科学・技術

ダーウィン
1859年、『種の起源』で進化論を提唱した人物
進化論は自然科学を越えて社会的にも大きく影響
コッホ
細菌学を発展させたドイツの人物で、結核菌・コレラ菌を発見
パストゥール
細菌学を発展させたフランスの人物で、狂犬病の予防接種などを開発
レントゲン
X線を発見した人物
マリ=キュリー
夫ともに科学研究に従事し、ラジウムを発見した人物
ファラデー
電磁誘導の法則を発見し、電気化学・電磁気学の発展に貢献した人物
マイヤー ヘルムホルツ
エネルギー保存の法則を発見した人物
ノーベル
ダイナマイトを発明した人物
ライト兄弟
飛行機を発明し、初飛行に成功した兄弟
選択と分岐-ダーウィン
『種の起源』刊行150年を翌年に控えた2008年、英国国教会の公式Webサイトに、刊行当初に進化論を批判したことを謝罪する記事が掲載されました。進化論は、動物と人間の線引きを曖昧にし、動物の支配者というキリスト教の人間観を崩すものでした。しかし、実は進化論が、当時の国教会をはじめ、キリスト教徒から全面的に批判されたわけではありません。当時の科学者や知識人の中には、キリスト教徒も多く、研究の成果と聖書の記述の矛盾を受け入れ、聖書を象徴的に解釈しようとする態度も生まれていました。そうした立場から、種の進化と神の存在は両立すると考える聖職者もいました。なお、下図は「人間と猿は近縁」と認識するダーウィンへの風刺画です。
ダーウィンの風刺画

世界の踏査

未知な世界を踏査し、その事情を明らかにする探検が活発におこなわれました。
19世紀後半、内陸部(アフリカ内部・中国奥地・中央アジア)の調査がおこなわれました。
20世紀、国の威信をかけて極地探検が競われました。

探検家

タスマン
オーストラリアを探検した人物
クック
18世紀 、ニュージーランド・ハワイなど南太平洋(オセアニア)を探検したイギリスの人物
リヴィングストン スタンリー
アフリカ大陸の内陸部を探検した人物
アムゼン
1911年、南極 点に到達したノルウェーの人物

都市・万国博覧会

19世紀後半、列強諸国の首都は、国家の示すために近代技術をもって都市を整備しました。
また、万国博覧会が開かれ、近代産業と首都の変容が示されました。
農村から都市への人口移動を加速させ、従来の市民文化と異なる、新しい大衆文化がつくられました。

代表的な都市計画

パリの大改造
ナポレオン3世 の治世下で、セーヌ県知事のオスマン がおこない、街路や下水道を整備
ロンドンの地下鉄開通

万国博覧会

1851年、第1回万国博覧会
ロンドンで開催され、水晶宮 を会場として建設