インドの植民地化とインド帝国

概要
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表記について

インドの植民地化

東インド会社の進出

17世紀、ヨーロッパ各国はアジアとの貿易をおこなう東インド会社を設立しました。
イギリス・フランスの東インド会社は、インドの次の場所を貿易拠点としました。
イギリス:
インド西部の マドラス   ボンベイ 
フランス:
インド南東部の ポンディシェリ 
各国の東インド会社は、インド産の 綿布  を購入するため、金・銀を大量に持ち込みました。
貿易と金・銀の流入は、農産物など現物の分配を基礎とするインドに大きな変化をもたらしました。
インドからイギリスへ輸出された綿布はキャラコと呼ばれて普及
18世紀前半、イギリスでは毛織物生産者による綿布(キャラコ)の輸入反対運動が発生

イギリス東インド会社の覇権確立

18世紀初めの皇帝アウラングゼーブの没後、ムガル帝国は急速に力を失いました。
ムガル帝国の弱体化に伴い、インド各地に独立政権が生まれました。
イギリス・フランスの東インド会社は、独立政権の軍事抗争に介入し、インドでの覇権を争いました。
1757年、 プラッシーの戦い 
イギリス東インド会社の軍が、 フランス  とベンガル太守の連合軍に勝利した 戦い
イギリス東インド会社がインドに 対する支配権を獲得し、フランス東インド会社はインドから撤退
1763年、 パリ条約 
七年戦争、フレンチ=インディアン戦争、インドでの植民地抗争の講和条約
 イギリス が、フランスからカナダ、ミシシッピ川以東の ルイジアナ、スペインからフロリダを獲得
 スペイン が、フランスからミシシッピ川以西の ルイジアナを獲得

植民地化

イギリス東インド会社は、次のように政治的・軍事的にインド支配を強めました。
マラータ同盟
18世紀、ムガル帝国に対抗するためインドに形成された政治的連合
シク王国
19世紀初頭、シク教徒がパンジャーブに形成した王国
19世紀半ば、東インド会社はインド全域を制圧するに至りました。
東インド会社は、支配地域の一部を外交権を奪う形で間接統治し、残りの地域を直接統治しました。
藩王国
東インド会社に外交権を奪われ間接統治されるが、一定の自治を認められた地方政権

統治下のインド

徴税方法と影響

イギリス東インド会社は、次の方法で地税を徴収しました。
イギリス東インド会社の徴税方法は、農耕従事者以外の権益を無視し、また、現金での納税でした。
19世紀前半、インドの農産物価格は低落していました。
農民は、税の現金支払のために農産物を多く売らなければならず、生活に苦しみました。

輸出から輸入へ

イギリスの産業革命後、 インドはイギリス製の綿布・綿糸の市場とされました
インド製のものを圧倒し、1810年代末、インドの綿布・綿糸の輸出入が逆転しました。
19世紀前半、インドは 綿花  ・藍などの原材料をイギリスに輸出し、イギリスから製品を輸入する立場へ変化しました。

貿易赤字への対応

インドは、輸入による貿易赤字を、次の地域への輸出で補うように対応しました。

東インド会社の特権剥奪

イギリス東インド会社は、排他的な貿易権、独自の軍事権を本国から許されていました。
しかし、イギリスが自由貿易体制へ移行する中、東インド会社の特権は強く批判されました。
1833年までに、東インド会社の排他的な貿易権が廃止されました。
インド帝国成立前の 1834年、イギリス東インド会社は商業活動を停止しました。
排他的な貿易権の廃止後、イギリスからインドへの綿布輸出が急増
上記経緯から、東インド会社はインドの統治者へと変質しました。

インド帝国の成立

インド大反乱

1857~59年、 シパーヒーの反乱   インド大反乱 
ヒンドゥー教徒とムスリムが混じる東インド会社のインド人 傭兵(シパーヒー)が、支給された新式銃の弾薬包に、牛の脂と豚の脂が塗られていたことに反発して蜂起
反乱の背景は多く、イギリス支配への不 もその一つ
蜂起したシパーヒーは名目だけの存在になっていたムガル帝国皇帝を擁立
1858年、擁立された皇帝が廃され、ムガル帝国が名実ともに滅亡
弾薬包は口で噛み切る必要があり、牛はヒンドゥー教ので神聖な生き物、豚はイスラームで忌み嫌う動物

インドの直接支配

1858年、イギリスは東インド会社を解散し 、インドの直接統治に乗り出しました。
イギリス本国にインド省と大臣が設けられ、インドではイギリス人総督と参事会が政庁を統轄しました。
1877年、 ヴィクトリア女王  がインド皇帝に即位し、イギリス国王と兼ねました。
イギリス支配下で インド帝国 が成立し、1947年まで存続しました。

インド帝国の体制

直接統治・間接統治の並立

インド帝国では、イギリスの直轄地と藩王国が並立していました

反乱抑止の政策

シパーヒーの反乱の経験から、インド帝国は強圧的政策を止めました。
代わりに、分割統治と呼ばれる、インド人同士の対立を生み出す巧妙な政策が採られました。