概要
袁世凱の死後、中国各地で軍閥が割拠しました。1919年と1921年には、軍閥打倒・中国統一を目指す中国国民党と中国共産党がそれぞれ組織されました。両党は第一次国共合作を実現して北伐を開始しましたが、1927年の上海クーデタで再び対立しました。中国国民党は南京に国民政府を樹立し、北伐を再開して中国統一を果たしました。一方、中国共産党は中国国民党に追われながらも勢力拡大を図り、日中戦争まで抵抗を続けました。
第一次国共合作
中国共産党の結成
1919年、ソヴィエト政府は、外務人民委員代理カラハンを通して、帝政時代のロシアが中国に有した特権を放棄すると宣言しました。
ソヴィエト政府は、この宣言で中国国内から社会主義への支持・共鳴を得ました。
コミンテルンの指導の下で、陳独秀
や李大釗が中国共産党を結成しました。
国共合作の実現
1919年、孫文は中華革命党を中国国民党に改称しました。
中華革命党
孫文が袁世凱政権の専制排除を目指して組織した秘密結社
1924年、中国国民党の孫文はコミンテルン
の働きかけを受けて、「連ソ・容共・扶助工農
」の3方針を打ち出しました。
- 連ソ
ソ連との連携
- 容共
中国共産党員の受け入れ
- 扶助工農
労働者・農民の援助
中国国民党と中国共産党の協力体制第一次国共合作
が実現しました。
反帝国主義運動の高揚
1925年、五・三〇運動
上海の日本人経営の紡績工場での労働争議をきっかけとする反帝国主義運動
北伐と中国統一
国共分裂
1926年、蔣介石
は国民革命軍
(国民政府軍)を指揮し、広州から北上して軍閥を打倒する戦い北伐
を開始しました。
1927年、国民革命軍は中国共産党の協力を得て上海・南京を占領しました。
1927年4月、
上海クーデタ
北伐の進行中、蔣介石
が中国共産党の弾圧を開始し、第一次国共合作を崩した事件
蔣介石は南京
に国民政府
を樹立
浙江財閥
など上海の資本家は、上海クーデタを起こした蔣介石を支持しました。
蔣介石
中国
中国統一
1928年、再開された北伐が北京に迫りました。
北伐に際して日本は、中国における権益を守るため、山東半島への出兵
と中国東北部の軍閥張作霖の支援をおこないました。
1928年度、
張作霖爆殺事件
日本の関東軍は
北伐に追われて撤退する軍閥張作霖
を列車ごと爆殺した事件
関東軍が混乱に乗じた満州支配を計画
関東軍
日露戦争で獲得した満州南部の鉄道などの権益を守るため、同地域に駐屯した日本の軍隊
張作霖の跡を継いだ子張学良は、関東軍の謀略を知り、国民政府の中国東北部の支配を認めました。
結果、国民政府による北伐完了と中国統一が果たされました。
関税自主権回復と貨幣統一
国民政府は、清が結んだ不平等条約で欠如した関税自主権の回復を目指しました
。
北伐完了後、アメリカ・イギリスは国民政府を正式な政府として認め、条約改正に応じました。
1928~30年、国民政府は関税自主権の回復を果たしました。
1935年、国民政府はアメリカ・イギリスの援助で通貨を統一しました。
国民政府は、銀の通貨利用を禁止し、ポンドに連動した4大銀行の銀行券を法定通貨と定め、金融市場の統一を推進しました。
中国共産党の抵抗
1927年の国共分裂後、中国共産党は農村で共産党の政権をつくる方針を採りました。
中国共産党は軍隊紅軍
(共産党軍)を組織し、勢力を広げました。
1931年、中国共産党は江西省瑞金
で中華ソヴィエト共和国臨時政府
を樹立しました。
毛沢東
が中華ソヴィエト共和国臨時政府の主席に就任しました。