トルコとイスラーム諸国の動向

概要
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表記について

トルコ革命

亡国の危機

第一次世界大戦において、同盟国のオスマン帝国は敗北しました。
オスマン帝国は、次の大戦中・大戦後の取り決めで亡国的状況に置かれました。
委任統治
植民地形成が大戦の一因のため、国際連盟からの「委任」と表現

ギリシアの侵攻と祖国解放の戦い

1919年、ギリシアがオスマン帝国の混乱に乗じて、アナトリア半島(小アジア)西部の都市イズミルを占領しました。
オスマン帝国軍人ムスタファ=ケマルは、大国民議会(アンカラ政府)を組織し、抵抗運動を指導しました。
1922年、ムスタファ=ケマルは、 イズミル  を奪回してギリシアを撤退させました。

トルコ共和国の樹立

ギリシアの撃退後、大国民議会は次のことを実施しました。
1923年、大国民議会は トルコ共和国  の樹立を宣言しました。
 ムスタファ=ケマル  がトルコ共和国の初代大統領に選出されました。

首都

ムスタファ=ケマルは、旧オスマン帝国の首都イスタンブルを避け、 アンカラ  を首都と定めました。

憲法

1924年、ムスタファ=ケマルは共和国憲法を発布しました。

政教分離

1924年、ムスタファ=ケマルはカリフ制を廃止して政教分離を実施しました

その他近代化の政策

ムスタファ=ケマルが、次の近代化政策を推進しました。

イスラーム諸国の動向

エジプト

イギリスの保護国であった エジプト  で、第一次世界大戦後に ワフド党  が独立運動を始めました。
1922年、イギリスが保護権を放棄し、 エジプト  の独立を認めました。
しかし、イギリスがスエズ運河の支配権など様々な特権を保ち、エジプト王国の独立は形式的なものでした。
1936年、エジプト=イギリス同盟条約
イギリスがエジプト王国の主権を認めた条約
条約締結後もイギリスはスエズ運河地帯に駐留を継続

アフガニスタン

1919年(第一次世界大戦後 )、第3次アフガン戦争
イギリスの保護国であったアフガニスタンが、イギリスからの独立を果たした戦争

イラン

第一次世界大戦後、カージャール朝ペルシアでは、レザー=ハーンがクーデタによって実権を握りました。
1925年、 レザー=ハーン  はカージャール朝を廃し、 パフレヴィー朝  を開きました。
1935年、パフレヴィー朝は他称であった国名「ペルシア」を「イラン」に改めました。
パフレヴィー朝イランは近代化に努めましたが、イギリス資本が石油資源を支配し続けました

サウジアラビア王国

1932年、 イブン=サウード  はアラビア半島のほぼ統一を果たし、 サウジアラビア王国  を建国しました。

イラク・ヨルダン・レバノン・シリア

第一次世界大戦後、イギリス・フランスの委任統治から次の国が独立しました。

パレスチナ問題の始まり

第一次世界大戦中、 イギリス  はアラブのパレスチナについて、次の3方向と矛盾する条約を結びました。
大戦後、パレスチナは イギリス  の委任統治になりました。
アラブ人・ユダヤ人は、パレスチナについてそれぞれの主権を主張して衝突しました。