秀吉の国内・対外政策

表記について
概要
秀吉が征服地に検地を施行し、全ての土地を面積ではなく米の標準収穫量「石高」で示すことが可能になりました。大名・武士・百姓たちは、石高の有無・多少で序列化されていきました。この社会の在り方を石高制と呼び、その形成過程で兵農分離が進行しました。もはや先祖伝来の土地を守りながら武装し、かつ農業経営にたずさわる存在は許されなくなりました。この点で中世と近世では性格に違いが出てきます。

国内政策

経済基盤の確保

豊臣氏の経済基盤は次の2つでした。
これらを財源に天正大判などの貨幣を鋳造しました。
天正大判
秀吉が鋳造させた定量165gの金貨で、贈答に使用されました。鋳造は、金工を家業とする後藤氏が担当しました(後藤祐乗の子孫)。

検地と刀狩と兵の確保

羽柴秀吉の以下の政策を通して、兵農分離が進行しました。

検地

秀吉は、屋敷地を含む全国の土地に、土地政策太閤 たいこう 検地を実施しました。

田畑の測量

京枡

太閤検地以前

一地一作人

刀狩

1588年、秀吉は刀狩令を出して、百姓から武器を没収しました。
百姓の身分の明確化、一揆防止による農業への専念化に繋がりました。
回収した武器は、方広寺の大仏などに利用

兵の確保

朝鮮侵略に備えて、兵と米の生産者の定数確保が必須でした。
1591年、秀吉は人掃ひとはらい身分統制令)を出して、武家奉公人(兵)が町人・百姓になること、百姓が商工業に従事することを禁じました。
人掃令
1592年、秀吉の養子である関白豊臣秀次も発令

対外政策

倭寇対策と海上の兵農分離

1588年、豊臣秀吉は海賊取締令を出して、倭寇わこうなどの海賊行為を禁止しました。
海上の安全を確保して堺・博多などの商人に貿易を奨励し、また、元海賊を漁業に従事させました。

キリスト教対策

当初、羽柴秀吉はキリスト教の布教を許可していました。
1587年の九州平定の際、国内初のキリシタン大名の大村純忠すみただ 長崎を教会領としてイエズス会に寄付したと聞きました。
大名のキリスト教入信を許可制にするとともに、バテレン追放令を出して、宣教師の国外追放と教会領没収を命じました。
一方で南蛮貿易は従来通り奨励したため、キリスト教の取締りは不徹底
1596年、土佐国に漂着したサン=フェリペ号の乗組員の失言で、宣教師・信徒の処刑 26聖人殉教じゅんきょうが発生(秀吉の唯一の直接的迫害)
播磨国の大名高山右近うこんは、信仰を捨てずに領地没収の処分
一般人の信仰は「その者の心次第」として黙認

26聖人像(場所:長崎)

朝鮮侵略

1587年の九州平定後、対馬の宗氏を通じ、朝鮮に明出兵の先導を要求しました。
これが拒否されたため、肥前国の名護屋城に本陣を築き、朝鮮への2度の出兵朝鮮侵略(文禄・慶長の役)を試みました。
朝鮮侵略は、朝鮮側では壬辰じんしん丁酉ていゆう 倭乱と呼称されます。
朝鮮侵略は、膨大な戦費と兵力を浪費し、豊臣氏を弱体化させました。

ソウル市内の李舜臣像

李舜臣

朝鮮側が使用した(!?)亀甲船

豊臣政権の衰退

独裁から合議へ

独裁が著しかった豊臣秀吉も、晩年は家臣5人を五奉行として政務にあたらせ、また、有力大名(大老、後に五大老と総称)に五奉行の顧問をさせました。
秀吉の死後、豊臣氏の政権は急速に解体へと向かいました。
五奉行
浅野長政ながまさ増田ました長盛ながもり ・石田三成みつなり・前田玄以げんい長束なつか正家 まさいえ
大老
徳川家康・前田利家・毛利 輝元てるもと・上杉景勝・宇喜多うきた秀家・小早川隆景
小早川の死後、残り5人を五大老と総称

史料

バテレン追放令

原文

条々
一諸国百姓、刀、脇指、弓、やり、てつはう、其外武具のたぐひ所持候事、堅く御停止候。其子細は、入らざる道具をあひたくはへ、年貢・所当を難渋せしめ、自然、一揆を企て、給人にたいし非儀の動をなすやから、勿論御成敗 有るべし。……
一右取をかるべき刀、脇指、ついえにさせらるべき儀にあらず候の間、今度大仏御建立の釘、かすかひに仰せ付けらるべし。然れば、今生の儀は申すに及ばず、来世までも百姓たすかる儀に候事。

現代語訳

条々
一、諸国の百姓が、刀・脇指・弓・槍・鉄砲その他の武具の類を所持することは厳しく禁止する。その理由は農耕に不要な武器を持ち、年貢やその他の税を出し渋り、もしも、一揆を企て、給人に対してけしからぬ行為をなすようになれば、そのような者は、当然処罰される。……
一、右のように集めた刀・脇指は無駄にするのではないので、今度、大仏を建立するにあたって、その釘や鎹につくりなおすのである。そうすれば、現世はいうに及ばず、来世までも百姓は助かるのである。

解説

バテレン追放令

原文

一日本ハ神国たる処、きりしたん国より邪法を授け候儀、太以て然るべからず候事。
一其国郡の者を近付け門徒になし、神社仏閣を打破るの由、前代未聞に候。国郡在所知行等給人に下され候儀は、当座の事に候。……
一伴天連、其知恵の法を以て、心ざし次第ニ檀那を持ち候と思召され候へハ、右の如く日域の仏法を相破る事曲事に候条、伴天連儀、日本の地ニハおかせられ間敷候間、……
一黒船の儀ハ商売の事に候間、各別に候の条、年月を経、諸事売買いたすべき事。

現代語訳

一、日本は神国であるから、キリシタンの国から邪悪な教え(キリスト教)を布教することは、たいへんよろしくないことである。
一、大名が自分の領地の国郡の者に奨めて信者にし、神社仏閣を壊しているということであるが、前代未聞である。国郡や村を知行地として大名に与えたのは、一時的なことである。……
一、宣教師は、その教義やいろいろな知識をもって人々に布教し、その者たちは自分の意思で信者になっていると秀吉公は思われていたが、右のように強制的に信者をふやしたり、日本の仏教を破壊したりしていることはけしからぬことであり、これでは宣教師を日本に置いておくことはできない。……
一、南蛮船については商売が目的なので特別である、以後、年月を経ても諸取引をするようにせよ。

解説