江戸時代中期の諸産業

表記について
概要
17世紀後半以降の1世紀の間(江戸時代中期)に、小規模な経営を基礎とする農業やその他諸産業で、生産力が著しく発展しました。この時期に登場した特産品は今なお存在し、例えば野田の醤油や京都の西陣織が著名です。この知識は各地をめぐる際にも役立つため、「地名―特産品」の組合せは覚えておきましょう。

農業生産の進展

農業

商品経済の浸透

幕府や諸藩は、都市での年貢米販売で貨幣収入を得るとともに、商品作物の生産を奨励して収入の増大を図りました。
村々で桑・こうぞ・麻・綿花・菜種などの商品作物が盛んに生産されました。
1643年の田畑勝手作りの禁は、ほぼ有名無実化(1871年廃止)
四木しぼく三草
幕府や諸藩が重視した商品作物の総称
四木(茶・桑・楮・漆)三草(麻・あい紅花べにばな

四木

三草
風土に適した特産物も全国各地に生まれました。
駿河するが・山城宇治の茶、阿波あわ最上もがみ地方の紅花、薩摩(琉球)の黒砂糖、越前の 奉書紙ほうしょがみなどが有名でした。

農書(17~19世紀)

次のような農業技術を教える書籍(農書のうしょ)が普及しました
清良記せいりょうき
栽培技術や農業技術を説く日本最古(17世紀前半)の農書
農業全書
17世紀末、宮崎安貞が著した体系的農書
農具便利論
19世紀、大蔵永常が農具の用法を図解した農書
広益国産考
19世紀、大蔵永常が経済発展に合わせた農業経営を説く農書

農具

狭い耕地での集約的な農業に合わせ、次のような農具が登場しました。
備中鍬
従来の風呂鍬ふろくわに替わる深耕しんこう用の鍬
千歯扱
脱穀用の農具
唐箕とうみ
籾殻もみがら塵芥じんかいを風力で外に飛ばす選別農具
千石簁せんごくどおし
穀粒こくりゅうの大きさによって振り分ける選別農具
踏車ふみぐるま
灌漑かんがい用の小型揚水ようすい

風呂鍬

備中鍬

千歯扱

唐箕

千石簁

踏車

肥料

耕地の開発が進み、刈敷が不足しました。
都市周辺部では下肥しもごえが、商品作物の一大生産地では金肥 きんぴ が普及しました。
金肥
金で買われる、干鰯ほしか〆粕しめかす油粕 あぶらかすぬかなどの高い栄養効率の肥料の総称

漁業

各地で、漁場の開発と漁法の改良が進みました。
釣りによる土佐のかつお漁、地曳じびき 網による九十九里浜のいわし漁、網やもり による紀伊・肥前・長門などの捕鯨、松前のにしん漁がありました。

イワシ

ニシン
漁獲された鰯や鰊は干鰯・〆粕に加工されて金肥として売られました。
また、昆布や俵物たわらもの(代表:干しあわび ・いりこ・ふかひれ)は、17世紀末以降に銅にかわる清向けの輸出品となりました。

干し鮑・いりこ・ふかひれ

製塩業

瀬戸内海沿岸を中心に入り浜塩田が発達し、塩の生産がおこなわれました。

織物業

麻織物として、近江の麻や奈良のさらし、越後のちぢみがありました。
綿織物として、日本国内でも生産が拡大し、三河・河内の木綿がありました。

奈良晒
当初、高級な絹織物は京都西陣にしじん高機たかばたという技術を用いて織られれました。
後に、上野こうづけ桐生きりゅう ・足利をはじめ、各地でも高機で生産されるようになりました。

高機

金襴(左)・緞子(右)

工芸品

17世紀前半、肥前有田ありた で生産を始めた磁器は、長崎貿易の主要な輸出品となりました。
木などのに漆を塗り重ねる工芸品の漆器では、会津あいづ 塗・輪島塗わじまぬりが有名

醸造業

酒造

伏見なだ 伊丹いたん銘酒 めいしゅ が生まれ、各地に酒屋が発達しました。

醤油造

醤油しょうゆは西日本で早くから造られましたが、後に全国でも大量に生産されました。
関東では、野田銚子ちょうしの醤油が有名でした。