交通と商業の発達

表記について
概要
陸上交通は豊臣政権による全国統一の歩みの中で整備が始まり、江戸時代には江戸・大坂・京都の三都を中心に各地の城下町へと延びる街道が全国にひかれました。また、海上交通は豪商の角倉了以や政商の河村瑞賢などの指導で整備されました。これら交通の発達により、商業を担う層が拡大し、商業の発達に繋がりました。

交通の発達

陸上交通の整備

江戸・大坂・京都の三都を中心に、各地を繋ぐ街道かいどうが完成しました。
五街道
三都を結ぶ東海道のほか、中山道なかせんどう 甲州道中こうしゅうどうちゅう日光にっこう道中・奥州おうしゅう 道中を併せた主要な街道の総称
幕府直轄で、17世紀半ばから道中奉行が管理を担当
東海道の大井川などでは幕府の政策で橋の設置が禁止
脇街道脇往還
伊勢いせ 街道・北国ほっこく街道など、五街道以外の主要な街道の総称

五街道と関所

街道の施設・人馬・夫役>

関所
人・物の検断所で、東海道の新居・箱根、中山道の碓氷うすい が有名
関東では「いり鉄砲に出女でおんな」を厳しく取締り
一里塚いちりづか
(約4㎞)ごとに設けられたしるべ

一里塚と榎
宿駅宿場
宿泊施設、人馬の中継所がある場所
宿場を中心に発達した町を宿場町と呼称
伝馬役てんまやく
公用の通行で使う人馬を、近隣の町・村で常備する夫役ぶやく
伝馬の不足時、補うように指定された村の負担を助郷すけごう と呼称
問屋場
宿場の施設で、幕府公用の飛脚つぎ 飛脚や伝馬役の手配を担当
本陣脇本陣
宿場の宿舎で、大名・公家・役人とその供人が利用
旅籠はたご
宿場の宿舎で、一般旅行者が利用
飛脚
馬または徒歩による書状・荷物の運送業
大名の私費による大名飛脚は後に廃れ、民間の町飛脚が発達
江戸時代には、遠距離での馬車の利用は未発達

飛脚

水上交通の整備

大量の物資運送には、川・海・湖沼の水上交通が利用されました。

河川舟運しゅううん

17世紀初め、京都の豪商角倉了以すみのくらりょうい 賀茂かも川・富士川を整備し、また高瀬たかせ川の開削かいさく で水路を開きました。

角倉了以

海運

17世紀後半、江戸の商人河村瑞賢かわむらずいけん 出羽でわ酒田を起点に2つの航路を整備しました。
他に大坂から江戸に至る航路南海路もあり、大坂からの物資をくだ り物と呼称

河村瑞賢

海運の帆船

17世紀前半、菱垣廻船ひがきかいせん が大坂・江戸間で運航を開始しました。
18世紀前半、酒荷さかに専門のたる 廻船が登場し、やがて酒以外も運送しました。
船足ふなあしが早い樽廻船が次第に優位となり、菱垣廻船は衰退しました。
西回り航路で、蝦夷地や日本海側の産物を大坂へ運ぶ廻船北前船も活躍

菱垣廻船

航路

商業の発達

近世初期の商業と交通整備

16世紀末~17世紀前半には、交通整備が未発達でした。
豪商と呼ばれる堺・京都・博多・長崎・敦賀つるがなどの一部の商人が、地域格差・私有の船や蔵・朱印船貿易を利用して巨大な富を得ました。
江戸幕府が交通を整備し、また、貿易を制限すると、三都や城下町の商人・問屋といやが商業・流通の中心となりました。
問屋は、生産地の仲買なかがいから商品を引き受け、都市の仲買におろし りしました。
一部の問屋は、産地に資金・原料を貸与して生産させる問屋制家内工業を始めました。

商業上の組織と営業税

問屋は、「海損かいそんの共同保障・荷物運送の安全・流通の独占」を目的に、多様な職種からなる仲間(組合とも)という連合組織をつくりました。
例えば、江戸の十組問屋とくみといやや大坂の二十四組問屋にじゅうよくみといやが有名です。
仲間は仲間掟を定めて営業の独占を図りました。
幕府は仲間を公認するかわりに、営業税運上うんじょう 冥加みょうがを課しました。
幕府に公認された営業の独占権
株仲間
株をもつ問屋・商人らの仲間
幕府は運上・冥加の増収で財源を支えようとしました。
18世紀以降、特に田沼時代は問屋以外の商人・職人らの仲間が広く公認されました。

商品流通
*矢印方向に販売

市場

卸売おろしうり市場いちばが三都や城下町に発達し、都市と農村を結ぶ心臓部となりました。
卸売市場
問屋が生産地から大量に仕入れた商品を、仲買あるいは小売商人に売り渡す場所

代表的な卸売市場

大坂
堂島の米市場・雑喉場ざこば の魚市場・天満てんま青物あおもの 市場
江戸
日本橋の魚市場・神田の青物市場

堂島の米市場

日本橋の魚市場