概要
クシャーナ朝の後、インドにはグプタ朝、そしてヴァルダナ朝がおこりました。各王朝には中国から著名な僧が訪れました。特にヴァルダナ朝には、『西遊記』の三蔵法師として知られる玄奘が仏教を学びに訪問しました。
北インドの大王国
グプタ朝
4世紀、ガンジス川中流域にグプタ朝がおこりました。
グプタ朝は、チャンドラグプタ2世の治世下で最盛期を迎え、北インド全域を統治する大王国になりました。
グプタ朝の統治下で仏教やジャイナ教が盛んになりました。
中国の僧
法顕が最盛期のグプタ朝を訪問しました。
また、バラモンが再び重んじられ、バラモンの言葉であるサンスクリット語が公用語化されました。
グプタ朝は、中央アジアの遊牧民エフタルの進出や地方勢力の台頭で衰退し、6世紀半ばに滅亡しました。
チャンドラグプタ2世時代のグプタ朝
グプタ朝の時代の文化
ヒンドゥー教
グプタ朝の時代には、バラモン教と民間信仰が融合したヒンドゥー教が定着しました。
ヒンドゥー教は、シヴァ神やヴィシュヌ神などを主神とする多神教です。
特定の教義や聖典に基づかず、日々の生活と密接に関わるという特徴があります。
シヴァ神
法典・叙事詩・戯曲
グプタ朝の時代には、次の法典や叙事詩が完成しました。
自然科学
十進法やゼロの概念が生み出されました。
のちにイスラーム世界に伝えられ、自然科学を発展させました。
美術
ガンダーラに見られたヘレニズム文化の影響が薄れ、純インド的な特徴をもつグプタ様式が成立しました。
アジャンター石窟の壁面に描かれた絵画は、グプタ様式の代表作とされています。
アジャンター石窟の壁画
他宗保護の王朝
ヴァルダナ朝
7世紀初め、ハルシャ王がヴァルダナ朝を建て、北インドを統一しました。
7世紀半ばまでに、ヴァルダナ朝は急速に衰退しました。
ハルシャ王時代のヴァルダナ朝
仏教・ジャイナ教の保護
ヴァルダナ朝の支配者の多くは、ヒンドゥー教徒でありました。
しかし、信仰に関して排他的ではなく、仏教・ジャイナ教にも保護を与えました。
唐の玄奘は、陸路でヴァルダナ朝を訪れ、ハルシャ王の保護を受けながらナーランダー僧院で仏教を学び、帰国後に『大唐西域記』を著しました。
ヴァルダナ朝滅亡後の7世紀後半、義浄がインドを訪れ、『南海寄帰内法伝』を著述
他宗の排斥
6世紀半ばから仏教・ジャイナ教を排斥するバクティ運動が盛んになりました。
インドでの仏教・ジャイナ教は衰退に向かっていきました。
ヴァルダナ朝滅亡後
地方政権の分裂時代に入りました。
ベンガル地方の王朝は、ナーランダーを仏教の中心地として復活させ、インドでの仏教に最後の繁栄期をもたらしました。