概要
イスラーム王朝は先進文明が栄えた地域に多く成立しました。征服者であるアラブ人がもたらしたイスラームとアラビア語が、先進文明の文化遺産と融合し、ここに各地の地域的・民族的特色を加えて様々な文化を形成しました。
イスラームの社会
知識の流入
中世ヨーロッパはイスラームと敵対し、キリスト教諸国によるイベリア半島の再征服が目指されました。
キリスト教諸国が再征服した後も、ムスリムはイスラームへの信仰を維持したままイベリア半島に残留することが許されました。
スペイン中部のトレドではアラビア語の文献がラテン語などへ翻訳されました
。
古代ギリシア文献やアラビア科学の著作が、アラビア語を介してラテン語に翻訳され、12世紀ルネサンスに繋がりました。
施設・技術・神秘主義
都市の公共施設
イスラームの都市には、法学・神学などイスラーム諸学を修めた学者ウラマー
を育てる教育機関マドラサ
や、職人・商人が生産と流通を担う市場がありました。
これらモスクやマドラサなど都市の公共施設は、カリフやスルタンなどの支配者に建設されました。
建物の運営は、土地や商店の収入を寄付するワクフ
という制度に支えられました。
製紙法
751年に起こった
タラス河畔の戦い
で、
唐
が
アッバース朝
に大敗しました。
この時に唐軍の捕虜からイスラームへ
製紙法が伝わりました。
イスラーム世界に、パピルスや羊皮紙にかわる紙が普及し、その文明の発展に寄与しました。
イスラム神秘主義
10世紀以後、形式的な信仰を排して神との一体感(合一)を目指す
イスラム神秘主義(スーフィズム
)が盛んになりました。
この思想をもつ神秘主義者はスーフィー
と呼ばれました。
スーフィーの活動は、インドへのイスラーム浸透に寄与しました
。
スーフィー
『コーラン』の文句や踊りを繰り返すことによって神との一体感を追求
スーフィズム
学問と文化活動
初期の学問
イスラームの学問は、アラビア語の言語学と『コーラン』の解釈に基づく神学・法学から発達しました。
神学・法学では、ムハンマドら預言者の言行に関わる伝承(ハディース)の研究も重視され、歴史学の発達を促しました。
次のような歴史書が著されました。
学問の飛躍的発達
アッバース朝時代に
、多くのギリシア語文献がアラビア語に翻訳され、ギリシアの学問が学ばれました。
また、インドからは十進法とゼロの概念
、そして算用数字(後のアラビア数字)を取り入れました。
アッバース朝時代のバグダードにあった図書館「知恵の館」が翻訳の中心地
バグダードにあった図書館
これら学問は次の人物たちを生み、彼らはヨーロッパの文化に大きな影響を与えました。
- フワーリズミー
代数学と三角法を確立し、後のヨーロッパの数学に影響を与えた人物
- ウマル=ハイヤーム
『ルバイヤート(四行詩集)』を著し、数学・天文学にも優れて正確な太陽暦を作成した人物
- ガザーリー
神秘主義を容認し、その理論家に努めた人物
- イブン=ルシュド
ギリシア哲学を研究し、アリストテレスの著作の注釈を著して、ヨーロッパの哲学に影響を与えた人物
- イブン=シーナー
著作の医学書『医学典範』がラテン語に翻訳され
、近世医学が成立するまでヨーロッパで教科書として用いられた人物
その他学問
文学・巡礼記
『
千夜一夜物語
(アラビアン=ナイト)』
各地の説話(イランなどを起源とする説話
)が中世ペルシア語の物語集として成長し、アラビア語に翻訳された集大成
有名な「船乗りシンドバードの物語」などはアッバース朝の都の繁栄ぶりをよく描写
16世紀頃のカイロにおいて現在の形をほぼ形成
『
三大陸周遊記
』
14世紀にモロッコ
で生まれ、アフリカやユーラシア大陸(元の時代の
中国など)を広く旅したイブン=バットゥータ
の口述筆記による作品
シンドバッドの一場面
建築・美術・工芸
ミナレット(光塔)
モスクに付属する塔で、礼拝の時を告げることに利用
ミニアチュール(
細密画)
中国絵画の影響を受けた
、書物の挿絵や装飾に描かれた精密な絵画
アラベスク
植物の茎や葉を図案化して幾何学的に配置した装飾文様
偶像崇拝につながる人物画を避けたイスラームの精神に合う美術様式
ウマイヤド・モスクのミナレット