概要
西アジアで誕生したイスラームは、インド・東南アジア・アフリカにも広がっていきました。これら世界各地へとイスラームが拡大したことには、ムスリム商人が大きく関わっています。ムスリム商人は金・香辛料・陶磁器などを求め、陸路だけでなく海路も利用して交易をおこないました。
インドのイスラーム化
イスラーム勢力の侵入
7世紀半ば以降、ヴァルダナ朝は急速に衰退・滅亡しました。
様々な地方政権が割拠する分裂時代に入りました。
8世紀、ウマイヤ朝のイスラーム勢力がインドへ進出しました。
10世紀末以降
、次の2つのイスラーム王朝がインドへ進出し、イスラーム化が進みました
。
- マムルークの出身の人物を始祖とし
、アフガニスタン
を拠点とするトルコ系のイスラーム王朝ガズナ朝
- ガズナ朝から独立したイラン系のイスラーム
王朝ゴール朝
ヒンドゥー勢力のラージプートは、イスラーム勢力に抵抗できませんでした。
インドのイスラーム王朝
最初の王朝
13世紀
、ゴール朝の将軍アイバク
は、デリー
にイスラーム王朝を開きました。
アイバクが奴隷出身であったため、この王朝を奴隷王朝
と呼びます。
奴隷王朝の後にも、デリーを拠点としたイスラーム王朝が成立しました。
奴隷王朝含め、13~15世紀のこれら王朝をデリー=スルタン
と総称します。
ヒンドゥー教との融合
インドのイスラーム王朝では、ヒンドゥー教からイスラームへの改宗が強制されませんでした。
イスラームは、インド旧来の信仰に共通性があり、都市住民やカースト差別に苦しむ人々に広まるほどでした。
ヒンドゥー教とイスラームの要素が融合した都市が建設され、サンスクリット語の作品がペルシア語へ翻訳されました。
この文化をインド=イスラーム文化と呼びます。
ペルシア語
イラン民族の言語でササン朝ペルシアなどが使用
イラン系のイスラーム王朝がインドへ進出して伝播
ペルシア語とインドの地方語が融合し、ムガル帝国の時代にはウルドゥー語
が成立しました。
東南アジアのイスラーム化
中国・東南アジアでの交易
8~10世紀初頭-進出と撤退
8世紀、ムスリム商人は
香辛料
などを求めて東南アジアへ、陶磁器などを求めて中国へ進出しました。
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中国の泉州・広州
などの港町を訪れました。
唐で黄巣の乱
が起きると、ムスリム商人はマレー半島まで撤退しました。
10世紀後半-再進出と活性化
10世紀後半の宋の時代にも、ムスリム商人が泉州
・広州へ来航しました。
13世紀後半-元の海域進出
13世紀後半、元が東南アジアの海上交易路を支配しようとしました。
ベトナムの
陳朝は元の侵攻を
退けましたが
、ビルマの
パガン朝
は元の侵攻を受けて
滅亡しました。
元はジャワ
にも遠征軍を送りました。
元の進出の混乱下、13世紀末にジャワ
島にヒンドゥー
教の王朝マジャパヒト王国
が成立しました。
マジャパヒト王国に撃退され、元の遠征は失敗に終わりました
。
イスラーム国家の成立
東南アジア最初のイスラーム王朝
13世紀、ムスリム商人や神秘主義スーフィズム
の教団が、東南アジアの諸島部を中心に活動しました。
13世紀末、東南アジア最初のイスラーム国家がスマトラ島に成立しました。
イスラーム化の大きな契機
15世紀初頭、マラッカ王国がマレー半島に成立しました。
マラッカ王国は海上交通の要衝に位置し、海上交易で繁栄しました
。
15世紀半ば、マラッカ王国はタイのアユタヤ朝に抵抗するため、王自らがイスラームに改宗し、イスラーム商業勢力との関係を強化しました。
このことは、イスラームが東南アジアに拡大する契機となりました。
イスラームが、東南アジア各地へと広まり、次のようなイスラーム国家が成立しました。
アフリカのイスラーム化
最古のアフリカ人の国
前10世紀、クシュ王国がナイル川上流(アフリカ大陸東部)に成立しました。
前8世紀、クシュ王国はエジプトを支配しました。
前667年、クシュ王国はアッシリアの侵入をうけ、ナイル川上流域へと後退し、メロエを都に定めました。
この時期、クシュ王国は製鉄で栄え
、メロエ文字を用いました。
4世紀
、クシュ王国はエチオピアのアクスム王国
に滅ぼされました。
ムスリム商人との交易
7世紀、ガーナ王国が西アフリカ(アフリカ大陸西部)に成立し、豊富な金を産出しました。
ムスリム商人がこの金を求めて訪れ、ガーナ王国は産出した金を塩(岩塩)と交換する交易をおこないました
。
1076~77年
、ガーナ王国がイスラームを奉じるムラービト朝
に攻められ衰退しました。
ガーナ王国の衰退は、西アフリカのイスラーム化の道を開きました。
イスラームの受容
ガーナ王国衰退後、イスラームを受容した次の黒人国家が西アフリカに成立しました。
- 黄金の国マリ王国
- マリ王国に替わって成立したソンガイ王国
マリ王国・ソンガイ王国はサハラ砂漠(内陸アフリカ)の交易を支配し、その下で交易都市トンブクトゥ
が岩塩と金との交易で繁栄を極めました。
また、トンブクトゥにはイスラームの学者が招かれ、イスラーム学問・文化が栄えました
。
トンブクトゥの日干しレンガのモスク
アフリカ南部~東海岸部
11世紀頃から、ザンベジ川流域で
モノモタパ王国
が栄えました。
王国の繁栄は、石造
遺跡群であるジンバブエ遺跡(大ジンバブエ)に示されてします。