明後期の社会・文化

概要
明代の後期は、農業・商業・手工業・学術など種々の面で、目覚ましい進展の見られた時代でした。
表記について

冊封体制の崩壊

大航海時代の到来

16世紀、大航海時代で世界的に商業が発達しました。
東南アジアでは、新興国家やヨーロッパ諸国が、胡椒など香辛料をめぐって争いました。
これらの国家は自ら軍事力を強化し、明の国力・権威を頼る冊封体制に入りませんでした。

貿易統制の動揺

16世紀、交易を求める人々が、侵入・略奪という行為で明の統制打破を目指しました。
16世紀の明は、北方のモンゴルの侵入や南(東)方の倭寇の略奪という外患 北虜南倭  に苦しみました。
北虜南倭に苦しんだ明は、北方の長城の大規模な改修をおこなったりしました。

北方のモンゴル-北虜

16世紀、モンゴル諸部族(韃靼、タタール)が、 アルタン=ハン  のもとで強盛となりました。
アルタン=ハンはフフホトなどの中国風の城郭都市を建設し、長城を越えて明への侵入を繰り返しました。
アルタン=ハン
都市フフホトを本拠とし、チベット仏教の一派 黄帽派  に帰依

東シナ海の倭寇-南倭

 倭寇 は南倭と呼ばれ、中国・朝鮮半島沿岸で密貿易や略奪をおこないました。
代表的な倭寇として中国出身の王直が知られ、日本の五島列島などを拠点に活動しました。
日本人中心の14~15世紀の倭寇を前期倭寇、中国人中心の16世紀の倭寇を後期倭寇と区別

海外貿易の許可と銀の流入

明は貿易統制を止め、モンゴルとの交易場を設けたり、民間人の海外貿易を許したりしました。
結果、明代後期にはスペイン人がもたらしたメキシコ銀や、ポルトガル人がもたらした日本銀が流通し、貨幣経済が活発化しました

明後期の社会

穀倉地帯

明代 、穀倉地帯が長江中流域 の湖広(現在の湖北・湖南省)に広がり、「湖広熟すれば天下足る」と言われました。復習

陶磁器

江西省の 景徳鎮けいとくちん  では、陶磁器が盛んに生産されていました。

商業・商人

明代に、商品の全国的な流通網が成立し、 山西商人   徽州きしゅう(新安)商人  が活躍しました。
そして、各地の都市に同郷・同業者の互助施設 会館   公所  が置かれました。

地方の有力者

明代、引退した地主官僚は、 郷紳きょうしん  と呼ばれる地方有力者として成長しました。

税制度の改革

税の納入が銀でおこなわれるようになりました。
16世紀、各種税や徭役を銀で納入する 一条鞭法  が、実施されました。

明後期の文化

書物の出版

木版印刷による書物の出版が増加しました。
庶民向けの小説や科挙の参考書、商業の実用書などが出版されました。

明代に刊行された代表的小説

 三国志演義 
元代に原型が出来上がった、三国時代の英雄・豪傑の活躍を題材にした小説
 水滸伝すいこでん 
元代に原型が出来上がった 、北宋の時代に梁山泊を根拠地に活躍した正義の豪傑を題材にした小説
 西遊記 
明代に完成された、玄奘をモデルにした インド旅行の小説
金瓶梅きんぺいばい
明代に完成された、『水滸伝』の中の一部を発展させ、豪傑の裏面生活を描いた物語

儒学の新しい展開

16世紀、 王陽明 (王守仁)が、人は本来心のなかに真正の道徳をもつという 心即理  を主張しました。
また王陽明は、行動よりも知識や修養を重視し過ぎる朱子学の傾向を批判しました。
やがて王陽明は、ありのままの心を発揮し(致良知)、心のままに行動を起こす 知行合一  を説き、 陽明学  を興しました。
陽明学は、学者のみならず庶民からも広く支持されました。

科学技術

明代には実学が発達し、様々な分野の技術書が著されました。

実学の刊行物

 本草綱目ほんぞうこうもく 
 李時珍  が著した、薬物に関する総合書
 農政全書 
 徐光啓  が著した、農政・農業関係の総合書
 天工開物 
 宋応星  が著した、産業技術の図版入り解説書

キリスト教布教と科学技術

16世紀末、 マテオ=リッチ  が明を訪れて布教をおこないました。
16世紀 、日本では フランシスコ=ザビエル がキリスト教を布教
マテオ=リッチは、キリスト教布教と同時に、徐光啓らと協力してヨーロッパの暦法・数学などを紹介しました
中国の士大夫は、ヨーロッパの自然科学や軍事技術に関心をもち、キリスト教を受容しました。
地図・刊行物
 坤輿万国全図こんよばんこくぜんず  
 マテオ=リッチ  が作成した漢訳版世界地図
 崇禎暦書すうていれきしょ 
マテオ=リッチの協力を得て、 徐光啓  らがヨーロッパの暦法で作成した暦法書
 幾何原本きかげんぽん 
 マテオ=リッチ  が翻訳に携わり、西洋の数学(ユークリッド幾何学)を紹介した書物