概要
19世紀半ば、ヨーロッパ各国で国家の再編が図られました。議会政治を展開したイギリスでは、選挙権の拡大が進み、アイルランド併合と植民地拡大の方針が決められました。国家体制が安定しないフランスでは、第二帝政のもとで積極的な外交が展開されましたが後に崩壊し、第三共和政に移行しました。小国に分裂していたイタリアでは、サルデーニャ王国が統一を急速に進め、1861年、イタリア王国が成立しました。
ヴィクトリア期のイギリス
近代工業力の誇示
1851年、ヴィクトリア女王治世下のイギリスで、第1回ロンドン万国博覧会が開催されました。
この万国博覧会では、水晶宮
が会場として建設されました。
水晶宮
議会政治の展開
1860年代、自由党(旧称:ホイッグ党)・保守党(旧称:トーリ党)の二大政党が交互に政権を担当し
、議会政治を展開しました。
選挙権の拡大
自由党と保守党によって、選挙権の拡大が進められました
。
- 1867年、第2回選挙法改正
都市労働者
が選挙権を獲得
- 1884年、第3回選挙法改正
農業労働者
が選挙権を獲得
教育の整備
1870年、
教育法
(
初等教育法)
自由党のグラッドストン
内閣が成立させた、初等教育の拡充を図る法律
組合の法的地位
1871年、
労働組合法
自由党のグラッドストン内閣が成立させた、労働組合に法的地位を認める法律
アイルランドの併合
1801年、アイルランドがイギリスに併合されました。
併合後、宗教的自由や自治権を求めるアイルランド人の運動が激しくなりました。
1840年代、ジャガイモの病気を一因とする大飢饉が発生し、海外への移民が増加しました
。
1880年代、自由党のグラッドストン
がアイルランド自治法案を議会に提出しました。
しかし、同法案は自由党のジョゼフ=チェンバレンや保守党に反対され、成立しませんでした
。
植民地の重要性
1873年以降、イギリスは不況が続き、海外の植民地が重視されるようになりました。
1895年、ジョゼフ=チェンバレン
はイギリスの保守党内閣の植民相となりました。
チェンバレンは、南アフリカ戦争など帝国主義政策を推進しました。
フランスの第二帝政と第三共和政
第二帝政
1852年、ルイ=ナポレオンは国民投票で皇帝ナポレオン3世となり、第二帝政が樹立しました。
国威高揚の政策
ナポレオン3世は、国威を高めるために、次のことを奨励しました。
- フランス
人技師レセップス
の指揮でスエズ運河
の建設
- 1855、67年のパリ万博開催
スエズ運河
1875年、保守党のディズレーリ
内閣のとき、イギリスがスエズ運河会社の株式を買収
スエズ運河
積極的な対外政策
ナポレオン3世は、国民の支持を維持するために、次の戦争をおこないました。
第二帝政の崩壊
1870~71年、
プロイセン=フランス戦争
(
普仏戦争)
フランスとドイツ統一を目指すプロイセンの戦争
ナポレオン3世が捕虜となって第二帝政が崩壊し、急ぎ成立した国防政府が講和条約を締結
国防政府
講和とパリ=コミューン
1870年、第二帝政に代わり、国防政府が成立しました。
1871年、国防政府は急いで普仏戦争の講和条約を結びました(以降、国防政府を臨時政府と呼称)。
1871年、パリの民衆は講和条約に反対し、パリ=コミューン
と呼ばれる自治政府を樹立しました。
臨時政府は、プロイセンの協力を得て、パリ=コミューンを倒しました。
政体の選択
フランス国内では、次の政体をめぐって王党派と共和党が対立を続けました。
第三共和政
1875年、共和国憲法
フランスの第三共和政
が成立
イタリアの統一
青年イタリア-統一を目指す運動①
中世以降、イタリアは小国に分裂していました。
1831年、マッツィーニ
の率いる青年イタリア
が結成され、イタリア統一を目指しました。
1848年革命の時、マッツィーニ
がローマ共和国
を建てました。
しかし、ローマ共和国はフランス軍の干渉で倒されました。
サルデーニャ王国-統一を目指す運動②
1720年、サルデーニャ王国が北イタリアに成立しました。
1848年革命の時、サルデーニャ王国はイタリア統一を目指し、オーストリアと戦って敗れました。
サルデーニャ王国首相カヴール
が社会基盤の整備を進め、イタリア統一への運動を支えました。
中部イタリアの併合
1859年、
イタリア統一戦争
サルデーニャ王国とオーストリアの戦争
フランスはサルデーニャ王国
を支援
勝利したサルデーニャ王国は北イタリアのロンバルディアを獲得
1860年、サルデーニャ王国は、フランス東南部の
サヴォイア・ニースをフランスに譲渡し、見返りに中部イタリア併合を認めさせました。
両シチリア王国の併合
1860年、ガリバルディ
が義勇軍赤シャツ隊
(千人隊)を率いて、両シチリア王国を軍事的に征服しました。
ガリバルディは、占領した南イタリアをサルデーニャ国王に献上しました。
イタリア王国の成立
サルデーニャ王国が中部イタリアと南イタリアを併合したことで、1861年、イタリア王国が成立しました。
サルデーニャ国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世
が、初代イタリア国王に即位しました。
1866年、イタリア王国はオーストリア領であったヴェネツィア
を併合しました。
1870年、普仏戦争に際してローマ教皇領
を併合しました。
1870年、イタリア統一が実現しました。
統一後も、トリエステ・南チロルなどオーストリア領のイタリア北東部は
、「未回収のイタリア」として残されました。
また、ヴァチカンの教皇庁にこもるローマ教皇との対立も継続しました。