ヴェルサイユ体制とワシントン体制

表記について
概要
1918年11月11日、大戦がようやく終わりました。ドイツは、アメリカ大統領ウィルソン提案の原則に期待し降伏しました。しかし、講和条約は、イギリス・フランスからの徹底追及で厳しい内容となりました。新たに模索された国際体制は、ドイツの不満、アメリカに抑圧された日本の不満を強めながら展開し、やがてこの2国が戦禍を起こすことになります。

ヴェルサイユ体制

第一次世界大戦の講和会議

1919年1~6月、パリ講和会議
革命が起きたソヴィエト政府を除く 協商国が、敗戦国の処理や今後の国際秩序を議論した会議
会議の方針は、アメリカ大統領ウィルソン が提案した十四ヵ条の平和原則
十四ヵ条の平和原則
秘密外交の廃止 、海洋の自由、関税障壁の廃止、軍備縮小、民族自決、植民地問題の公正な解決、国際連盟の設立 など
社会主義のレーニンの「平和に関する布告」に対抗し、自由主義のもとでの戦争防止を提唱
パリ講和会議
パリ講和会議

方針と現実の乖離

十四ヵ条の平和原則は、協商国の利害によって一部しか実現しませんでした

敗戦国の厳しい処分

フランスのクレマンソー やイギリスのロイド=ジョージ は、植民地の維持や敗戦国の厳しい処分を主張しました。
特に対ドイツの講和条約は、フランスの主張で苛烈な内容になりました。

東欧諸国の民族自決

民族自決の原則は、大戦勃発の一因であった東欧諸国にのみ適用され 、各民族が独立・政府樹立を可能としました。
アジア・アフリカの植民地には民族自決の原則が適用されませんでした

講和条約

対ドイツ

1919年6月、ヴェルサイユ条約
第一次世界大戦における協商国とドイツの講和条約
アルザス・ロレーヌをフランスに割譲
②ラインラントの非武装化
③軍備の一部 禁止
多額の賠償金支払いの義務
全ての 植民地の没収
⑥日本が旧ドイツ領の国際連盟の委任統治領として南洋諸島を支配
⑦締結した協商国は国際連盟に加盟
ラインラント
ライン川中・下流域の呼称で、ドイツ・フランスの国境線付近
ラインラント
ラインラント

対オーストリア

1919年9月、サン=ジェルマン条約
第一次世界大戦における協商国とオーストリアの講和条約
オーストリア=ハンガリー帝国の解体され、 、ポーランド・ユーゴスラヴィア チェコスロヴァキア ・ハンガリーが独立
革命によるロシア帝国の崩壊後、リトアニア フィンランド が独立
ユーゴスラヴィア
セルビア・クロアチア・スロヴェニアを統合した南スラヴ諸民族の国として成立
東ヨーロッパの独立国
東ヨーロッパの独立国

対ハンガリー

1920年6月、トリアノン条約
第一次世界大戦における協商国とハンガリーの講和条約
オーストリアからの完全分離
ルーマニア・ユーゴスラヴィア・チェコスロヴァキアに領土割譲

対ブルガリア

1919年11月、ヌイイ条約
第一次世界大戦における協商国とブルガリアの講和条約
ギリシア・ユーゴスラヴィアに領土割譲

対オスマン帝国

1920年8月、セーヴル条約
第一次世界大戦における協商国とオスマン帝国の講和条約
①イギリスが国際連盟の委任統治領としてイラク・トランスヨルダン・パレスチナ を支配
②フランスが国際連盟の委任統治領としてシリアを支配
③その他として軍備縮小、治外法権、財政干渉、海峡の開放など
内容が領土の大幅削減など大変厳しく、1924年、改定してローザンヌ条約 を締結
委任統治
植民地形成が大戦の一因のため、国際連盟からの「委任」と表現

国際連盟の設置

ヴェルサイユ条約は、締結した協商国に国際連盟への加盟を求めました。
1920年、史上初の国際平和機構として国際連盟が設立され、スイスのジュネーヴ に本部が置かれました。
パリ講和会議で締結された条約と国際連盟で成立した国際秩序は、ヴェルサイユ体制 と呼ばれます。

委任統治制度

大戦後は、植民地という形を避け、あくまで国際連盟から管理を委任されているという委任統治 を採用しました。
形式だけで、実質的には以前の支配と変わりませんでした。

国際連盟の軍隊

国際連盟は独自の軍隊を組織しませんでした

国際連盟の問題

設立時、社会主義のロシア(ソヴィエト政府)や大戦の敗戦国(ドイツなど)は、国際連盟に加盟しませんでした
また、アメリカは本国の上院がヴェルサイユ条約批准を拒否したため、国際連盟に加盟しませんでした
このため連盟の構成国がヨーロッパ諸国に偏るという問題がありました。
ロシア・ドイツは後に加盟し、アメリカは最後まで非加盟
国名 加盟年
フランス 1920
イギリス 1920
イタリア 1920
*1937(脱退)
ドイツ 1926
*1933(脱退)
日本 1920
*1933(脱退)
ソ連 1934
*1939(除名)
アメリカ (上院の反対で不参加)

ワシントン体制と戦後の国際協調

ワシントン会議

アメリカは、東アジアでの日本の台頭を抑え、中国進出の遅れを取り戻そうとしました。
1921~22年、ワシントン会議
アメリカ の提唱によって開かれた、米・英・日・仏など9カ国参加の会議
会議で締結された条約で成立した国際秩序をワシントン体制と呼称

主力艦の保有について

ワシントン海軍軍縮条約
米・英・日・仏・伊の5ヵ国で主力艦 保有比率を「5・5・3・1.67.1.67」と制限した条約
アメリカとイギリスの保有は同比率
主力艦
「重さ1万t以上」か「口径203mm以上の砲をもつ」戦艦

中国問題について

九ヵ国条約
中国の主権尊重 、中国で諸国が商業活動の機会を等しく得られることを決めた条約
中華民国を含む 九ヵ国で調印

太平洋の平和について

四ヵ国条約
米・英・日・仏共同による太平洋諸島の現状維持を約束し、日英同盟を解消させた条約

新秩序への反発

大戦直後は、次のような新秩序への反発が続発しました。

国際協調の気運

1924年以降、国際協調の気運が広まり、次の条約・会議が実現しました。
補助艦
偵察や主力艦(戦艦・航空母艦)の護衛をおこなう軍艦