西欧の停滞とファシズムの台頭

概要
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表記について

戦勝国の動向

イギリス

第一次世界大戦中、イギリスは戦費調達にアメリカを頼り、債務国となりました。
イギリスは債務に加えて大戦の被害も大きく、戦前の国際的に強い立場を失いました。
債務国
他国に支払う金額が、受け取る金額よりも多い国

女性の参政権獲得

第一次世界大戦後、イギリスで次の選挙法改正でおこなわれました。
第3回選挙法改正
農業労働者に選挙権が拡大復習

労働党政権

第一次世界大戦後、国民が生活で苦しんだイギリスでは、労働党が勢力を拡大しました。
第一次世界大戦後の1924年、 マクドナルド  を首相とする最初の労働党内閣が成立しました
1929年、労働党が第一党になり、党首マクドナルドが再び内閣を組織しました。

アイルランドの自治と離脱

第一次世界大戦後の 1922年、イギリスの自治領 アイルランド自由国  が成立しました。
しかし、完全な自主権はなく、軍事・関税などの面でイギリス本国から制限を受けました。
1931年、 ウェストミンスター憲章 
イギリス連邦の構成国家としてイギリス本国と自治領は対等になり 、自治領は立法上の完全な自主権をもつことを規定
1937年、アイルランドの独立派は、独自の憲法を定め、エールを国名としてイギリス連邦を離脱しました。

フランス

第一次世界大戦で戦場となったフランスは、ドイツが再び強国になることを警戒しました。

賠償金支払い要求

1923年、 フランス  ・ベルギーは、ドイツの賠償金支払い不履行を理由に、 ルール占領  を強行しました。
ルール占領によって、ドイツに経済的混乱が生じました
1925年、フランス外相ブリアンは、ドイツとの和解に努めて国際協調に貢献しました。

イタリア

講和条約への不満

第一次世界大戦時、イタリアは領土拡大の密約を結び、協商国側ついて参戦しました
イタリアは戦勝国になりましたが、講和条約で領土拡大を実現できず、不満を抱きました。
また、戦後のイタリア国民は苦しい生活が余儀なくされ、政府への不信が強まりました。
イタリアで労働者・農民の運動が高まりました。

ファシスト党の独裁体制

1919年に成立したファシスト党(党首:ムッソリーニ)は、労働者・農民の運動を抑え、資本家・地主などに支持を広げました。
1922年、ファシスト党のムッソリーニは ローマ進軍  を組織し、国王の支持を得て 首相に就任しました。
ムッソリーニは、ファシズム代表議会に権力を集中させ、一党独裁体制を確立しました。
ローマ進軍
ムッソリーニによる政権獲得のための組織および威圧的な示威行動

ファシズムの台頭

ファシスト党は、国家による強力な社会統制と対外膨張を目指す独裁的な政治体制を展開しました。
この統制・政治体制をファシズムと呼びます。

ムッソリーニの対外政策

1926年、 アルバニア  を保護国化
1929年、 ラテラノ条約   ラテラン条約 
イタリアのムッソリーニとローマ教皇庁が締結し、 ヴァチカン市国  の独立を承認
アルバニア
1939年、イタリアが併合

アメリカ

国際金融市場の中心

第一次世界大戦中、アメリカは協商国に物資提供と資金貸与(借款・戦債)をおこないました。
大戦後、アメリカは債権国に転じ  ニューヨーク  が国際金融の中心都市となりました。
債権国
他国から受け取る金額が、支払う金額よりも多い国

資金の循環

大戦後、イギリス・フランスは復興とアメリカへの資金返済に苦しみました。
頼みの賠償金もドイツの支払いが進まず、悪循環に陥りました。
1920年代、アメリカの ドーズ案  やヤング案で ドイツ  が支払う賠償金の条件が緩められ、ヨーロッパの復興が軌道に乗りました。

民主主義の拡大

第一次世界大戦中、アメリカの女性は軍需生産などに協力しました。
この活躍が追い風となり、大戦後の1920年、大統領ウィルソンの時に女性参政権が認められました

永遠の繁栄

1920年代のアメリカは、フォード車などの自動車や家庭電化製品、ラジオ・映画などの大衆娯楽が著しく発展しました。
将来の経済は楽観視され、1929年の大統領フーヴァーが述べた「永遠の繁栄」という言葉によく表れています。
フォード
1913年、自動車の大量生産を実現したアメリカの「自動車王」
一方、アメリカでは次のような法律が制定されるなど保守的な傾向もありました。

敗戦国の動向

ドイツ

ヴァイマル共和国の成立

第一次世界大戦中  ローザ=ルクセンブルク  を指導者とする スパルタクス団  が結成され、反戦を主導しました。
大戦後、スパルタクス団が中心となり、ドイツ共産党が結成されました。
1919年、ローザ=ルクセンブルクや カール=リープクネヒト  は蜂起を起こしましたが、右翼軍人に殺害されました。
ドイツ社会民主党は、軍部など保守勢力と結んで共産党を抑えました。
1919年、 ヴァイマル憲法 
当時世界で最も民主的な憲法とされ、男女平等の普通選挙などを規定
ヴァイマル憲法制定からナチス政権成立までのドイツをヴァイマル共和国と呼称

インフレと通貨改革

1923~25年、ルール占領
ドイツの賠償金支払い遅延を理由に、 フランス  ・ベルギーがドイツの工業地帯ルールを占領した事件
ドイツは、ルール占領に対して生産を停止するなどの抵抗をおこないました。
結果、ドイツでは激しいインフレーションが起こりました
1923年、首相 シュトレーゼマン  は、 レンテンマルク  を発行してインフレーションを収束させました。

ドーズ案

次のようなアメリカの ドーズ案  によって、 ドイツ  が支払う賠償金の条件が緩められました。
ヤング案
ドーズ案に続くドイツの賠償金支払い案
ドーズ案
ドーズ案

国際連盟への加盟

1929年、外相シュトレーゼマンはドイツの国際連盟への加盟を実現しました。

東欧・バルカン諸国・ソ連の動向

ポーランド

ソヴィエト政府との戦争

1920年、ポーランド=ソヴィエト戦争
ポーランドとソヴィエト政府(政権)の間で戦われた戦闘

ユーゴスラヴィア

第一次世界大戦後、セルビアなど南スラヴ系の国がセルブ=クロアート=スロヴェーン王国としてまとまりました。
1929年、同王国はユーゴスラヴィアと改称しました。

ソ連

一国社会主義

ソ1924年のレーニンの死後、ソ連では次の2つの考えが争点となりました。
一国社会主義:
 スターリン  が唱えた、ソ連1国だけで社会主義社会が樹立可能という考え
世界革命:
 トロツキー  が唱えた、世界の資本主義国での革命が不可欠という考え
スターリンは実権を掌握すると、トロツキーらを追放・粛正しました。

本格的な社会主義計画経済

1928年、スターリンは新経済政策(ネップ)にかわって 第1次五ヵ年計画  を実施し、重工業に重点を置く工業化が推し進められました。
農業は集団化・機械化が命じられ、次の2つの農場が組織されました
ソヴィエト政府は集団化に抵抗する農民を逮捕・投獄し、生産物の供出を実行しました。