戦国大名の政策・都市の形成

表記について
概要
戦国大名は、しばしば伝統的な守護職への補任を望み、また、将軍・天皇との結びつきを強めようとしました。しかし、基本的に戦国大名の権力は独自的なもので、上位者との従属的な関係は存在しませんでした。その意味で戦国大名の分国は地域国家とも言え、大名は分国法を定めたり、城下町の建設で分国の活性化に努めたりしました。

国大名の政策

戦国大名の分国支配

戦国大名は、分国(領国)支配のために分国法を制定しました。

分国法の特徴

②としてが喧嘩けんか両成敗りょうせいばい が有名
喧嘩両成敗
理由を問わず、争いをした者を、双方とも処罰すること
武士の自力救済原理を否定

代表的な分国法

朝倉氏:朝倉孝景たかかげ条々
伊達氏:塵芥集じんかいしゅう
武田氏:甲州法度之次第こうしゅうはっとのしだい
今川氏:今川仮名目録
後北条氏:早雲寺殿じどの廿一にじゅういち 箇条

戦国大名の諸政策


一乗谷の城下町

信玄堤

信玄堤に使われる聖牛

石見銀山

中世都市の形成

新しい都市

政治都市(京都・奈良・鎌倉)を除けば、14~16世紀の都市は、次の3つのタイプに大別できます。

タイプ①:門前町・寺内町

寺社の門前に門前町もんぜんまちや、浄土真宗(一向宗)の寺院の周囲に寺内町じないまち が発達しました。
門前町としては、伊勢神宮の宇治・山田、信濃国善光寺の長野、延暦寺の坂本が有名です。
寺内町としては、越前国の吉崎、摂津国の石山、河内国の富田林とんだばやしが有名です。

タイプ②:港町・宿場町

遠隔地商業の発展で港町・宿場町が成立しました。
港町としては、伊勢国の桑名、薩摩国の坊津 ぼうのつ が挙げられます。
草戸千軒くさどせんげん
備後国にあった港町で、洪水のためか廃絶
日明貿易で栄えた博多などの港町は、豪商の組織に運営され、自治都市の性格をもちました。
堺では会合衆えごうしゅう と呼ばれる36人の豪商が、博多では年行司やと呼ばれる12人の豪商が運営しました。
「(堺は)ベニス市の如く執政官にりて治めらる」と、宣教師ガスパル=ヴィレラ が『耶蘇会士やそかいし日本通信』で報告

タイプ③:城下町

大名の城に付属する形で城下町が成立しました。

代表的な城下町
大友氏の豊後府内
大内氏の山口
朝倉氏の一乗谷
後北条氏の小田原

伝統的な都市―応仁の乱後

古い政治都市の京都でも、人々は町という組織単位でまとまり、町に属する裕福な商工業者町衆を中心に自治をおこない始めました。
町ごとに町法という独自の掟を定めました。
応仁の乱後、京都の行事「祇園祭ぎおんさい 」は、町衆によって復興・主導されました。
祇園祭
御霊会が変化した行事で、もとは公家が主導したが、乱によって中断

祇園祭