ヨーロッパの海外進出

表記について
概要
ヨーロッパ諸国は、アジアでの貿易の独占と植民地経営を許した東インド会社を設立し、海軍力を背景にアジアに進出していきました。各国は互いに活動の拡大を競い、時には現地での覇権をめぐって武力衝突を起こしました。

アジア貿易の覇権争い

アジア進出の先達

ポルトガル

ポルトガルは、次の場所でアジア貿易を展開しました。
1543年、ポルトガル人が種子島に漂着し、日本に鉄砲が伝来しました。
17世紀後半以後、ポルトガルのアジア貿易は衰退しました。

スペイン

スペインは、次の場所でアジア貿易を展開しました。

新教国の進出

オランダ

1602年、オランダは東インド会社 を設立しました。
オランダ東インド会社は、次の場所を足場にアジア貿易を展開しました。
東インド会社
株式会社の形態を採る会社で、排他的な貿易権、独自の軍事権を許されて各国のアジア進出を牽引
各国で設立され、最初は1600年設立のイギリス東インド会社
1630年代以降、オランダは鎖国体制下の日本と正式に通商できる西欧で唯一の国となりました。

イギリス

1600年、エリザベス1世 の治世下でイギリスは東インド会社 を設立しました。
イギリス東インド会社は、次の場所を拠点にしました。

英蘭の争い

1623年、アンボイナ事件
インドネシアのモルッカ諸島で、オランダ人がイギリス商館員を虐殺した事件
事件後、敗れたイギリス は東アジアから締め出され、インド経営に尽力
モルッカ諸島
別名は香料諸島(スパイス諸島)
17世紀、英蘭戦争
イギリスが航海法 によってオランダに打撃を与えようしたことで生じた戦争
第1次(1652~54)、第2次(1665~67年)、第3次(1672~74年)と争い、イギリス が勝利

英仏のインド経営と争い

フランス

17世紀初めのアンリ4世 の治世下、東インド会社 が創設されましたが、経営に失敗しました。
1664年、ルイ14世の親政期の財務総監コルベールが、再建しました。
フランス東インド会社は、次の場所を拠点としました。

両国の衝突

18世紀初めのアウラングゼーブ帝の死後、ムガル帝国の統治は弱体化しました。
この状況下、イギリス・フランスが軍事・財政援助と交換にインドに進出しました。
1757年、プラッシーの戦い
イギリス東インド会社が、ガンジス川下流のベンガル地方で、フランスの支援を得たベンガル太守(地方政権)を破った戦い
インドにおけるイギリスの覇権が決定
プラッシーの戦い
英仏は同時期にヨーロッパで七年 戦争、アメリカ大陸でフレンチ=インディアン戦争で対立

アメリカ大陸の争奪戦

各国の動向

ポルトガル

トルデシリャス条約に基づき、アメリカ大陸のブラジルはポルトガル領に、その他大半はスペイン領になりました。
スペインは、アメリカ大陸の先住民とアフリカからの黒人奴隷を働かせ、鉱山の開発に尽力しました。
ボリビアのポトシ などの銀鉱山で採掘されたメキシコ銀は、マニラを経由して東アジアに流入しました

オランダ

1621年、オランダが西インド会社を設立しました。
オランダは、北米東岸に植民地ニューネーデルラント を形成し、都市ニューアムステルダム を建設しました。
1664年、ニューネーデルラントはイギリス に奪われ、都市ニューアムステルダムがニューヨークと改称されました。

フランス

17世紀初め、フランス はカナダに植民地ケベック を建設しました。
ルイ14世の治世下、フランスがルイジアナ を領有しました。

イギリス

17世紀初め、イギリスは北米東岸に植民地ヴァージニアを形成しました。
ジェームズ1世の治世下、ピューリタンが迫害を逃れ、北アメリカに移住しました
1620年、ピューリタンがメイフラワー 号でアメリカに渡り、植民地を形成しました。
18世紀前半までに、イギリスの13植民地が成立しました。
13植民地
ヴァージニア、マサチューセッツ、ニューヨークなど
フロリダが含まれないことに注意

イギリスとフランスの争い

1701~13年、スペイン継承戦争
フランスのルイ14世が、オーストリア・オランダ・イギリス を敵として争った戦争
ユトレヒト条約で、イギリス がフランスからニューファンドランドを獲得
1740~48年、オーストリア継承戦争
フランス と結んだプロイセンのフリードリヒ2世が、イギリスに支援されたオーストリアのマリア=テレジアと戦争
イギリスは、フランスの兵力をヨーロッパに留めるためにオーストリアを支援
1754~63年、フレンチ=インディアン戦争
七年戦争・プラッシーの戦いと同時期におこなわれた、イギリスとフランスの植民地戦争
イギリス が勝利
1763年、パリ条約
七年戦争、フレンチ=インディアン戦争、インドでの植民地抗争の講和条約
イギリスが、フランスからカナダ、ミシシッピ川以東の ルイジアナ、スペインからフロリダを獲得
スペインが、フランスからミシシッピ川以西の ルイジアナを獲得
フランスは北アメリカの全領土を失いました。

奴隷貿易と近代分業

奴隷貿易の開始

16世紀以降、ブラジル・西インド諸島で、サトウキビの大農園プランテーションが経営されました。
アメリカのスペイン植民地において 、先住民インディオの人口が次の理由で減りました。
減った労働力を補うため、アフリカの黒人奴隷が輸入されました。
17世紀、砂糖・綿花・タバコ・コーヒーのプランテーションの経営で、より多くの黒人奴隷が必要になりました。

奴隷貿易のシステム

黒人奴隷貿易は、次のような流通で成り立っていました。
①~③の循環からこの貿易を三角貿易と呼びます。
三角貿易は、イギリスなどに産業革命の前提条件である資本蓄積を促しました。