日本史 一問一答:No.125 日清戦後経営

一問一答
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14問

  • 1896年に進歩党の大隈重信を外相に迎えて組閣し、松隈内閣とよばれた内閣名をあげよ。
  • 松隈内閣の総辞職後、1898年に成立した内閣で、軍備拡張のため増税案を議会に提出したところ否決され、総辞職した内閣名をあげよ。
  • 1898年に最初の政党内閣が成立したが、この内閣をふつう何とよんでいるか。
  • 隈板内閣の与党名をあげよ。
  • 憲政党は、2つの政党が合併して成立したものであるが、2つの政党名をあげよ。
  • 隈板内閣は党の分裂で、わずか4カ月で崩壊したが、この時この内閣の総理大臣であった大隈重信が党首となった政党名をあげよ。
  • 最初の政党内閣である隈板内閣が崩壊したあとを受けて成立した内閣は、官僚勢力の確立をはかり、種々の施策を実施した。この内閣名をあげよ。
  • 第2次山県有朋内閣は政党員が官界に進出するのを防ぐため、試験任用を拡大して、自由任用を制限する法改正を行った。この時に改正された法令を何というか。
  • 第2次山県有朋内閣により、陸・海軍大臣は現役の大将・中将に限られることになったが、この制度を何というか。
  • 第2次山県有朋内閣は労働運動の高揚に対し、従来の治安立法を集大成した法令を制定したが、これを何というか。
  • 伊藤博文を中心に組織された政党を何というか。
  • 立憲政友会を基礎として1900年に成立した内閣名をあげよ。
  • 明治政府の功労者で、第一線を退いたあと、天皇を助け重要政策の決定や首相の推薦などにあたった人々を何とよんだか。
  • 藩閥・軍閥を代表する桂太郎と立憲政友会の西園寺公望が明治時代末期に政権を交互に担当したが、これを何とよんでいるか。