日本史 一問一答:鎌倉時代

一問一答
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193問

  • 1180年、安徳天皇の即位により、反平氏の気運が高まった。後白河上皇の子で諸国の源氏に挙兵を呼びかけ、自身もまた挙兵を試みた人物は誰か。
  • 以仁王の挙兵はすぐに鎮圧されたが反平氏の動きは止まらず、平氏は都を摂津国に遷した。新都の名称は何か。
  • 福原京から平安京に戻った後、反平氏の興福寺・東大寺が焼打ちされた。焼打ちをおこなった人物は平氏の誰か。
  • 以仁王の令旨をうけて、諸国の源氏は次々と挙兵した。平治の乱後、伊豆国に流罪となり、1180年に挙兵を試みた人物は源氏の誰か。
  • 以仁王の令旨をうけて、諸国の源氏は次々と挙兵した。信濃国木曾に住み、1180年に挙兵を試みた人物は源氏の誰か。
  • 1180年から6年にわたる全国的な争乱が続いた。この争乱の名称は何か。
  • 1181年、西国・畿内は飢饉に見舞われた。この飢饉の名称は何か。
  • 源義仲が都で孤立していくなか、源頼朝は後白河上皇との交渉で宣旨を得た。この宣旨の名称は何か。
  • 1185年、長門国で源氏が平氏を滅亡させた戦いの名称は何か。
  • 源頼朝が挙兵にあたって根拠地とした場所はどこか。
  • 平氏滅亡後の1185年、源頼朝は後白河上皇から様々な権利を得た。軍事・治安維持を目的に、諸国に原則1人置かれた役職の名称は何か。
  • 平氏滅亡後の1185年、源頼朝は後白河上皇から様々な権利を得た。土地管理(名主からの徴税等)を目的に、諸国の荘園・公領に置かれた役職の名称は何か。
  • 義経追討後に奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、1192年、武家政権の首長の称号とも言える官職に任じられた。この官職の名称は何か。
  • 頼朝(将軍)と主従関係を結んだ開発領主ら武士の名称は何か。
  • 主従関係を結んだ時、御家人が将軍から得る利益の名称は何か。
  • 御恩の1つで、先祖伝来の土地の所有を保障してもらうことの名称は何か。
  • 御恩の1つで、新たな土地を与えられることの名称は何か。
  • 主従関係を結んだ時、将軍が御家人から得る利益の名称は何か。
  • 奉公として、戦時の軍役とは別に、御家人が平時に果たす役目があった。交代で京の警備をする役目の名称は何か。
  • 奉公として、戦時の軍役とは別に、御家人が平時に果たす役目があった。交代で鎌倉の警備をする役目の名称は何か。
  • 鎌倉幕府の中央機構には、様々な機関があった。御家人の統制や軍事にあたった機関の名称は何か。また、初代長官は誰か。
  • 鎌倉幕府の中央機構には、様々な機関があった。一般政務や財務事務にあたった機関の名称は何か。また、初代長官は誰か。
  • 鎌倉幕府の中央機構には、様々な機関があった。訴訟や裁判事務にあたった機関の名称は何か。また、初代長官は誰か。
  • 守護の基本的な職権の総称は何か。
  • 源頼朝の死後、2代将軍となった人物は誰か。
  • 幕府創設以来の有力御家人が病没するなかで勢力をのばした、北条政子の父にあたる人物は誰か。
  • 1203年、北条時政は源頼家の後見の人物を討ち、次いで頼家を幽閉・暗殺した。この後見の人物は誰か。
  • 北条時政に擁立されて、3代将軍になった人物は誰か。
  • 北条時政は源実朝の擁立後に、ある機関の長官に就任した。この役職の名称は何か。
  • 北条時政の子は、父から政所長官の地位を継いだ。この人物は誰か。
  • 1213年、北条義時は和田義盛を討った。義盛の生前の役職と、討たれた戦いの名称は何か。
  • 北条義時は侍所別当と政所別当を兼務するようになった。代々北条氏で世襲されていった、侍所別当と政所別当を兼務する地位の名称は何か。
  • 安徳天皇の次に即位した天皇は、上皇となって院政を初め、次第に朝廷の政治を立て直していった。この上皇は誰か。
  • 後鳥羽上皇は院の軍事力を増強するために、新たな警護組織を設置した。この警護組織の名称は何か。
  • 1219年、3代将軍源実朝が頼家の遺児に暗殺された。この遺児は誰か。
  • 幕府は4代将軍に皇族を望んだが、後鳥羽上皇に拒絶された。そこで、頼朝の遠縁にあたる人物を将軍候補として鎌倉に招いた。招かれた人物は誰か。
  • 1226年、藤原頼経は将軍に就任した。源氏出身の将軍と区別して、藤原氏出身の将軍を何と呼んだか。
  • 1221年、後鳥羽上皇は北条義時追討の兵をあげた。これによって起きた乱の名称は何か。
  • 承久の乱において、幕府は北条義時の弟と子の軍を京に送った。この弟と子は誰か。
  • 承久の乱で上皇軍を破った幕府は、即位中の天皇を廃し、また3人の上皇を流刑に処した。3人の上皇のうち、後鳥羽上皇の流刑先はどこか。
  • 承久の乱後、幕府が京に設置して朝廷の監視・西国の統括をさせた機関の名称は何か。
  • 承久の乱後、上皇側についた貴族・武士の所領3000余カ所が没収され、御家人が地頭として配置された。収入の少ない土地に配置される場合、収入を補うために適法された法の名称は何か。
  • 新補率法が適用された地頭の名称は何か。
  • 新補率法が適用されない地頭、あるいは従来の地頭の名称は何か。
  • 承久の乱後、北条義時の執権の地位を継承した人物は誰か。
  • 北条泰時が設けた「裏の執権」とも言える役職の名称は何か。この役職は執権を補佐した。
  • 北条泰時は合議制を確立するために、執権と連署に加えて、11人の有力御家人をある役職に任命した。この役職の名称は何か。
  • 1232年、北条泰時が制定した法典の名称は何か。
  • 当時、荘園領主のもとで効力をもった法の名称は何か。
  • 北条泰時の孫にあたり、北条氏の執権政治を強化して、次第に独裁的な性格を強めた人物は誰か。
  • 1249年、北条時頼が裁判の迅速化を目的に設けた役職の名称は何か。
  • 北条時頼は藤原頼経を将軍の座から引きずり下ろし、その子を次の将軍として就任させた。新たに将軍となった人物は誰か。
  • 1247年、北条時頼が三浦氏を滅ぼした戦いの名称は何か。また、当時の三浦氏の代表は誰か。
  • 北条時頼は朝廷に政治の刷新と制度の改革を迫った。評定を院政の最高議決機関とした上皇は誰か。
  • 藤原頼嗣が廃され、新たに将軍となった後嵯峨上皇の子は誰か。
  • 藤原将軍(摂家将軍)の次には皇族が将軍となった。皇族出身の将軍は何と呼ばれたか。
  • 武士が先祖伝来の土地に構えた住居の名称は何か。
  • 館の周辺部にもうけられた免田の名称は何か。
  • 武士は身分(御家人)・職権(地頭)を踏み台に、荘園領主への納税をしばしば怠った。滞納への1つの妥協策として、荘園領主が地頭に一切の荘園管理権を譲ね、かわりに一定の年貢納入を約束させることの名称は何か。
  • 地頭請でも滞納が続く場合、荘園を「荘園領主の支配する荘園」「地頭の支配する荘園」とに分割して、相互に干渉しないことにした。この妥協策の名称は何か。
  • 父の所領を子全員が相続することの名称は何か。
  • 武士は地位を守るために武芸を習得する必要があった。3つ並んだ的を疾走する馬上から次々に射抜いていく武芸・儀式の呼称は何か。
  • 武士は地位を守るために武芸を習得する必要があった。必要に応じて1つの的の位置・大小を変化させ、それを疾走する馬上から射抜く武芸の名称は何か。
  • 武士は地位を守るために武芸を習得する必要があった。犬を的にして、馬上から鏑矢を当てる武芸の名称は何か。
  • モンゴル帝国の第5第皇帝は誰か。
  • フビライ=ハンはモンゴル帝国の国号を何と改めたか。
  • 元からの国書が届く数年前、北条氏の惣領(家督)となった人物は誰か。
  • 北条氏の惣領(家督)の名称は何か。
  • 1268年、元からの国書が到着したが、最終的に幕府は返書を拒否した。幕府が元の襲来に備えて、九州北部の沿岸に配備させた軍役の名称は何か。
  • 1274年、元は高麗の兵をあわせた約3万人の兵で、九州北部を襲った。元による1度目の襲来の名称は何か。
  • 突然の元の撤退により難を逃れた幕府が、博多湾沿いに構築した防御用設備の名称は何か。
  • 1281年、ふたたび元軍が九州北部を襲った。元による2度目の襲来の名称何か。
  • 服属後の高麗で、1270~73年に起きた反乱が起き、鎮圧後も反乱が続いていた。元は3度目の日本遠征を計画したが、これを背景に延期され、ついにはフビライの死をもって中止された。1270~73年に、高麗で生じた反乱の名称は何か。
  • 「蒙古襲来」と呼ばれる2度の襲来の様子は、ある御家人が自身の活躍を子孫に伝えるために描かせた絵巻物からわかる。この御家人は誰か。また、この絵巻物の名称は何か。
  • 蒙古襲来後、幕府が筑前国に設置した機関の名称は何か。この機関は九州の政務や裁判の判決、御家人の指揮にあたった。
  • 蒙古襲来に際して、執権を担う得宗に権力が集中したため、得宗の従者の勢力も強まった。得宗の従者の名称は何か。
  • 1284年に得宗となった北条時頼の子は誰か。
  • 1285年、御内人代表に有力御家人が滅ぼされた。この出来事の名称は何か。また、滅ぼされた有力御家人は誰か。
  • 霜月騒動で有力御家人を滅ぼした御内人代表は誰か。また、御内人代表の名称は何か。
  • やがて北条貞時が平頼綱を滅ぼすと、執権を務める得宗1人に幕府の権力が集中した。得宗1人が実権を握る政治の名称は何か。
  • 荘園公領制が進むと、交通の要所、寺社の門前に定期的に市場がひらかれた。この市場の名称は何か。
  • 月に3度ひらかれる市場の名称は何か。
  • 京都・奈良・鎌倉などにあった常設店の名称は何か。
  • 港・河川付近に登場した、船による水上輸送を担う業者の名称は何か。
  • 平安時代後期から民間で技術者集団が活躍するようになった。同業者同士で特権を認め合うために結成した団体の名称は何か。
  • 農業において、夏季に米を冬季に小麦を栽培することが普及した。この栽培方法の名称は何か。
  • 草を刈って田に敷き込む肥料の名称は何か。
  • 草木を焼いて灰にした肥料の名称は何か。
  • 鎌倉時代、全国での貨幣流通に応えて、日本でよく利用されるようになった銭貨の総称は何か。
  • 貨幣流通が盛んになると、現金を手形(割符)で代用する方法が登場した。この方法の名称は何か。
  • 鎌倉時代に登場した金貸業者の名称は何か。
  • 貨幣経済の発展に巻き込まれて、御家人たちが窮乏すると、幕府はその対応に追われた。1297年、幕府が発布した法令の名称は何か。
  • 武力に訴えて荘園領主に抵抗する者が登場した。幕府が付けた彼らの呼称は何か。
  • 専門歌人である藤原定家らに勅撰和歌集を編ませた上皇は誰か。
  • 藤原定家らが編んだ勅撰和歌集の名称は何か。
  • 3代将軍の源実朝による歌集の名称は何か。
  • 自然と自身の旅を詠んだ西行による歌集の名称は何か。
  • 平安末期の災厄を描き、人や社会の無常を嘆く鴨長明の随筆の名称は何か。
  • 14世紀の動乱期を深い洞察力で描く兼好法師の随筆の名称は何か。
  • 阿仏尼の紀行を含む日記の名称は何か。
  • 平氏の興亡を題材とする軍記物語の名称は何か。
  • 『平家物語』を各地で広めた担い手は誰か。
  • 琵琶を弾きながら、『平家物語』を語る音楽の名称は何か。
  • 藤原忠通の子で、貴族社会の推移を見つめるだめに歴史世を著した人物は誰か。
  • 慈円が著した歴史書の名称は何か。
  • 貴族社会において、過ぎ去った時代への懐古・尊重から古典研究が盛んになった。儀礼・年中行事・官職などを研究する学問の名称は何か。
  • 鎌倉の外港として栄えた六浦に、文庫を設けた人物は誰か。
  • 金沢(北条)実時が設けた文庫の名称は何か。
  • 鎌倉時代末期に、鎌倉幕府が編纂した歴史書の名称は何か。
  • 鎌倉時代末に成立した日本仏教の歴史世の名称は何か。
  • 浄土教を信じ、往生するためには「阿弥陀如来」の名を唱えることに専念すればよいと考えた人物は誰か。
  • 「南無阿弥陀仏」と唱えることの名称は何か。
  • 念仏に専念することの名称は何か。
  • 法然の著書名は何か。
  • 法然の教えを継ぐ宗派の名称は何か。
  • 浄土宗の中心寺院はどこか。
  • 法然の教えを受けたが、念仏に先んじて、人間の内実を徹底的に凝視することを重視した人物は誰か。
  • 「善人なをもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という文で知られる、親鸞の教えの名称は何か。
  • 親鸞の著書名は何か。
  • 親鸞の教えを継ぐ宗派の名称は何か。
  • 浄土真宗の中心寺院はどこか。
  • 末法思想を否定、日本仏教に大陸で主流の修行を加味することで、末法に動揺する現状を立て直そうした人物は誰か。
  • 栄西が修行の中心に据えた行為の名称は何か。
  • 栄西は、坐禅中に師からの質問に答えていくことで、やがて真理を悟れると考えた。師からの質問を何というか。
  • 栄西は教えを布教するにあたり、幕府を頼った。その一環として源実朝に献呈した書の名称は何か。
  • 栄西の著書で、禅について言及した書の名称は何か。
  • 栄西の教えを継ぐ宗派の名称は何か。
  • 臨済宗の中心寺院はどこか。
  • 栄西の弟子に学んだが、純粋に坐禅のみを重視した人物は誰か。
  • ひたすら坐禅に打ち込むことの名称は何か。
  • 道元の著書名は何か。
  • 道元の教えを継ぐ宗派の名称は何か。
  • 曹洞宗の中心寺院はどこか。
  • 末法思想と向き合い、ある経典の内容が末法においてもなお有効と考えた人物は誰か。
  • 日蓮が、最も正しく釈迦の教えを伝えていると考えた経典の名称は何か。
  • 南無妙法蓮華経」の7字の名称は何か。
  • 日蓮は禅・念仏を邪宗の教えと考え、これを信仰すると外敵侵入と内乱が起こると予言した。<br>予言を伝えるために、北条時頼に提出された文書の名称は何か。
  • 日蓮の教えを継ぐ宗派の名称は何か。
  • 日蓮宗の中心寺院はどこか。
  • 浄土宗の教えをさらに深め、信不信・浄不浄を問わずに念仏を唱えれば往生できると考えた人物は誰か。
  • 南無阿弥陀仏」に節をつけて詠唱し、拍子に合わせて踊る宗教舞踊の名称は何か。
  • 一遍は教えを広めるために諸国を遍歴した。<br>その様子が描かれた絵巻物の名称は何か。
  • 一遍の言葉をまとめた書の名称は何か。
  • 一遍の教えを継ぐ宗派の名称は何か。
  • 時宗の中心寺院はどこか。
  • 南都六宗のうち法相宗の僧で、解脱上人とも称された人物は誰か。
  • 南都六宗のうち華厳宗の僧で、高弁とも称した人物は誰か。
  • 南都六宗のうち律宗の僧で、思円とも称した人物は誰か。
  • 南都六宗のうち律宗の僧で、良観とも称した人物は誰か。
  • ハンセン病者のために、忍性が建てた救済施設の名称は何か。
  • 日本古来の山岳信仰が密教と結びつき、鎌倉時代に入ると1つの宗教としてまとまりをもった。この宗教の名称は何か。
  • 大陸から朱子学が伝わり、特に後醍醐天皇に影響を与えた思想の名称は何か。
  • 伊勢内宮の神官で、豊受大神の立場を引き上げるために、独自の神道を生み出した人物は誰か。
  • 度会家行が生み出した神道の名称は何か。
  • 度会家行が著した書の名称は何か。
  • 1181年、南都焼打ちをおこなった人物は誰か
  • 平安時代末期に平氏の焼討ちを受けた南都の寺院は、早急な復興を要した。これら寺院の復興を任され、その資金を寄付に頼って各地をまわった人物は誰か。
  • 重源による復興事業を助け、特に大仏の鋳造に尽力した人物は誰か。
  • 東大寺再建にあたって、重源が採用した建築様式の名称は何か。
  • 禅宗寺院に用いられた建築様式の名称は何か。
  • 彫刻の分野では、寄木造を大成した定朝の流れを引き、名前に「慶」をもつ者たちが活躍した。運慶・快慶らが制作し、東大寺南大門に安置されている彫刻の名称は何か。
  • 院政期に発展した絵巻物は、鎌倉時代においても多く描かれ続けた。題材は2人の兄弟の対照的な物語で、地方武士の生活を描く絵巻物の名称は何か。
  • 院政期に発展した絵巻物は、鎌倉時代においても多く描かれ続けた。自身の奮闘を子孫に伝えるために、竹崎季長が描かせた絵巻物の名称は何か。
  • 院政期に発展した絵巻物は、鎌倉時代においても多く描かれ続けた。布教を目的に、時宗の開祖の活躍を描く絵巻物の名称は何か。
  • 院政期に発展した絵巻物は、鎌倉時代においても多く描かれ続けた。北野天満宮の由来を、菅原道真の生涯とともに伝える絵巻物の名称は何か。
  • 写実的な技術が発展して、肖像画が発達した。肖像画のなかでも、特に記録画の類の名称は何か。
  • 似絵の名手として有名な藤原氏の父子は誰か。
  • 禅宗の僧は1人前になると師や先輩僧の肖像画を得る。礼拝に用いられる肖像画の名称は何か。
  • 書道の分野において、和様に宋の書風を加味して新たな書風を創始した親王は誰か。
  • 尊円入道親王が創始した書風の名称は何か。
  • 武士の成長とともに、刀剣の製作が盛んになった。備前の名工として知られる人物は誰か。
  • 武士の成長とともに、刀剣の製作が盛んになった。京都の名工として知られる人物は誰か
  • 武士の成長とともに、刀剣の製作が盛んになった。鎌倉の名工として知られる人物は誰か。
  • 釉を用いる中国の製法が伝わり、尾張でひらかれた焼き物の名称は何か。
  • 釉を伝え、瀬戸焼をひらいたと言われる人物は誰か。
  • 北条時頼の要請で、息子である宗尊親王を皇族将軍とした上皇は誰か。
  • 後深草上皇の血統の名称は何か。
  • 亀山天皇の血統の名称は何か。
  • 持明院統の財政基盤となった荘園群の名称は何か。
  • 皇位継承の争いを解消するため、持明院統・大覚寺統の両統が交代で皇位につくことを何というか。
  • 大覚寺統から即位し、やがて鎌倉幕府の討幕を計画した天皇は誰か。
  • 後醍醐天皇に強い影響を与えた朱子学の考えは何か。
  • 後醍醐天皇が理想とした、醍醐・村上天皇の治世は何と呼ばれたか。
  • 後醍醐天皇の即位時、執権の地位にあった人物は誰か。
  • 北条高時の下、内管領として権勢を握った人物は誰か。
  • 後醍醐天皇は討幕の計画を進めたが、1324年に露見し、関係者が処罰を受けた。この事件の名称は何か。
  • 1331年、再び討幕の計画が露見し、天皇側が挙兵した事件の名称は何か。
  • 元弘の変後、天皇の流刑先になった場所は、次のア~エのうちでどれか。また、その地名は何か。
  • 元弘の変後、持明院統から即位した天皇は誰か。
  • 元弘の変後、天皇側・幕府側の戦いが続いた。天皇側で奮闘した後醍醐天皇の皇子は誰か。
  • 元弘の変後、後醍醐天皇に呼応して挙兵した悪党出身の人物(河内の豪族)は誰か。
  • 当初、幕府側の指揮官であったが、途中離反して京都の六波羅探題を攻め落とした人物は誰か。
  • 幕府から離反し、鎌倉を攻めて北条高時以下北条氏を滅亡させた人物は誰か。